長生きなんかしてもつまらないわ~と言われたことを以前ブログに書いたら、それなりに反応をいただいた。皆、年老いていく親のことではいろいろ考えているのだなと思う。
乳がんを克服した母親から「長生きしててもつまらないわね~」と言われたら
少しだけ憂鬱な気分になりながらスカイプで日本の家の固定電話にダイアル。父親と軽く話した後で、母が出たが、この日は妙に明るく、父親の軽い失敗話でケタケタとひとり笑っている。この声だけ聞くと、とても幸せそうだし、充実した日々を過ごしているとも感じ取れる。
あまりそういうことをしない妹が、黄色いバラの鉢植えを買ってきたとかで、それもどうやら嬉しかった様子だ。こちらは2月下旬の誕生日の時にいろいろ送ったので、今回は声だけ。でもそれが一番なんだろうな、というのは、華やいだ声でもわかる。
父親が検査で不整脈が出たとかで、薬をもらって飲んでいるとか、自分も抗がん剤の影響で妙に肌寒く感じる時があって、こういう天候不順な時には困るのよね、とか。いまだに抗がん剤のお世話になっているとは知らなかったので驚いた。本当に必要なんだろうか、と薬とは無縁で暮らしたい私はつい思ってしまう。
相変わらず病気の話は多いのだけれど、それもまあ大切な関心ごとだし、大事な話の種なのだろう。向こうからは見えないけれど、顔はスマイル状態に固定し、ふーん、へ~と明るく相槌を打ち続ける。
今日は今日で、離れた場所にいる友人と電話。その人の人生もいろいろとあって、なかなかに愚痴や不満が多くて閉口するのだが、一度、面と向かって、そんな話ばかりするならもう二度と電話に出ないと言ってからは、相当減って助かっている。
新しいことを始めても続かず、同じ場所をグルグル回っているようなイメージで、この人の未来はどうなっていくのだろうと深く考えてどんよりしてしまうこともある。母といい、この人といい。何故にライフコーチなどをやろうと思う自分の一番近くに、こういうキャラクターを配置してくるのだろうと、誰だかわからないけれど、上で楽しそうに操作している人に聞いてみたくなる。
これも「引寄せの法則」なのだろうか。「鏡の法則」なのだろうか。だとしたら、自分が変わることで彼らも変わってくれるはずだが、今まであんまりその兆しが感じられたことはないぞ。正確には、瞬間的にはあるけれど、すぐに元に戻ってしまうんだ。
母の声を聞いたせいだか分からないけれど、今日、なんだか自分の中で吹っ切れたことがある。決めた、もう心配などするのはやめようと。
よくよく考えてみたら、僕は実は心配していたのではなく、自分の価値観を押し付けて人をジャッジメントしていただけなのかもしれない。
彼らの人生は彼らのもので、それが充実しているかどうかを判断するのは自分じゃない。彼らはそこにただ存在しているだけで価値があり、完璧なはず。そんなことをライフコーチのプログラムで教えている自分が、何の権利があって人をジャッジメントしているのだろう。思い上がりも甚だしい。
僕はただその存在に感謝をし、自分のことにだけフォーカスしていればいいんだ。
ん、そっか、そのことを教えてくれようとしていたのかな…? ん…?