このところ毎週末、25キロ~30キロほど走っています。
信号もなく続く長い白砂のビーチ沿いを行く場合もあれば、ビバリーヒルズの豪邸エリアの丘を登ってグルグル目の保養をしながら走ることもあり。
11月26日にシアトルでマラソン大会がありまして、いよいよそれに申し込み、最終調整段階へと突入しました。
自分にとって、ただ、楽しいから、やる
マラソンは、練習量に比例してタイムが向上する、とってもフェアなスポーツで、ひとりで気ままにできるし、ほとんど道具もいらないし。
健康に良いのはもちろんですが、それはまあ私には副次的なことで、ただ、楽しいからやる、というだけ。
50歳過ぎても、年々、タイムを上げることが今まではできていて、それも別に無理してるわではなく、「年季」ってことみたいです。
ウサギとカメの話ではないですが、長い年月かけて、じわじわと成長していくこともあるんですね。
ただし、レベルが上がれば上がるほど練習量だってたっぷりと確保しないといけないし、
ストレッチやら休息やら食事やら気にすることもいっぱい出てきます。
でも、それも含めて、「楽しい」から続いているんでしょうね。
加齢=衰え、ととらえない「選択」
歳を取る、イコール、「衰え」と決めつける人も多いですが、それは意識の問題かもしれません。
疲れやすくなった、とか、無理が効かなくなった、とかよく言いますけど、生きる過程で、楽することも知ったし、手を抜けることも知ったし、苦行が成果とつながらないことも知ったしね。
だから、疲れるほどに無理しなくてもいいんじゃん?って、勝手に脳が楽に行ける道を教えてくれているだけのような気もします。
あんまり勝手に年齢と結び付けてはいけない、というか、それこそネガティブループにはまりますよね。
人生100~120年時代。
私の周囲にいる皆さん方は、ほとんどまだ半分も行ってない。
老け込んでる場合じゃありませんね。
食を変え、生活習慣を見直し、心を整えれば、衰えではなくて、成熟に向かって歩いていけるはず。
マラソンは、私にとっては、別にやっても何も得しないことのひとつなわけですが、そういうことは、他にもあります。
夢リスト100個、書き出せますか?
先日、ちょっとしたグループセッションの場で、50個、100個のやりたいことリストを作ったら?という話をしてみたのですが、
20-30個は、簡単に出てきます。
でも、その先が出てこない。
それを絞り出すことに意味があるのですが、「頭」を使っている間は、出てくる言葉に「心」が震えることはありません。
本当に心がプルプルと震えることって、頭が否定しかねないこと。
損得勘定でいえば、損する可能性が高いことばかりだったりもして。
頭が否定するから、言葉が出ない。
そこをどんだけ素直に心を開いて「夢」や「希望」や「野心」や「思い」や「願い」が溢れ出るか。
そんなことをトレーニングしていくのがコーチングのプロセスでもあります。
Must do 、Should do、To doは簡単にかけても、Want to、Dream to、Dying toは
なかなか出てこない。
日頃から、自分の「心」の声を聞いていないと、すっと出ては来ないもの。
心の栓が緩んでいると、五感が震え、感動し、しあわせ感や豊かさ感や感謝の心に満ちた毎日がやってきます。
こんな記事もぜひ参考に。