週に一度、有機玄米を大量に炊いて、
ラップで小分けして冷凍しておきます。
たまのことなので、炊きたてのご飯が
食べられる日は朝から楽しみで(笑)、
どうやらビーチへ走りに行く車の中で、
何度も口にしていたらしいんですよね。
相方が「それが今の一番の楽しみなわけ?」
と笑いながら聞くのでハッと気づくわけですが、
そこでやっぱり躊躇なく「YES!」と
うなずく自分に苦笑い。
大根の味噌汁と、たっぷりの海苔と醤油。
ほくほくしながらいただくのって、
言ってて少し恥ずかしいですが(笑)、
心からのしあわせ感だったりするのです。
こういう時に思い出すのが、
「小確幸」という言葉。
初期の頃からの村上春樹ファンはご存知と
思いますが、彼が「村上朝日堂」という
エッセイの中で流行らせた言葉です。
「小さいけれど、確かな幸せ」
その漢字だけを取り出して、小確幸。
しょうかっこう、と読みます。
ちゃんと俗語辞典とかにも載っています。
ご飯が美味しく炊けた、とか。
お風呂で気持ち良い汗がかけた、とか。
満足のいく走りができた、とか。
読んだ本がとてもおもしろかった、とか。
アップルパイが極上の味だった、とか。
シーツが皺ひとつなく洗えた、とか。
そんなとき、私はなんだか、
心がポカポカと満たされて、
ささやかな幸せに浸ってしまえるわけす。
我ながら、とても省エネにできてるな、
と思うわけですが、それってとても
便利だよってクライアントとも話します。
省エネだし、そもそも自家発電だし、
自給自足だし、地産地消です。
って、わけわかりませんね(苦笑)。
他人や外的な事象に頼ったことじゃなく、
すべて自己完結してるってことかな。
幸せになるのって、幸せを感じるのって、
感度を上げれば、とっても簡単なことなんです。
落ち込んでも、傷ついても、がっかりしても、
日常にあふれる「小確幸」を感じることさえ
できれば、じんわりと立ち直れます。
「こんなことで、幸せ感じてる自分って
情けない…」
「他に何にも楽しみがないのかしら?」
「実はすごく寂しい人なんじゃないか…?」
なんて自己批判をする必要はありませんよね。
他人と比べてどうのこうの、という話では
まったくないわけです。
ただただ温かいお風呂のように、
「小確幸」に肩までじっくり浸かること。
それだけで、幸せの血行もうながされて、
ほんわかと癒やされ、生きる力になります。
旅や飲み会やイベントもいいけれど、
そういう非日常は、こういう日常に
あふれている「小確幸」のありがたさを
思い出すためにあるのではないか。
何の起伏もない平坦な暮らしの中で、
小さいけれど、確かな幸せを
しっかりと感じられること。
それこそが豊かさマインドの秘訣だし、
「今」を楽しむために必須のスキル
なのだろうとも思います。
まさに、これに通じていますね。
思えば、10年位前から、「幸せ」を感じ取る訓練はスタートしていたのでした。
これなんか、最高の教材のひとつですね。