目だって若返る。2カ月で視力回復のプチ奇跡体験。世界が明るくなりました

目がよくなって心も体も超スッキリ

9月末から1カ月近く日本で過ごした時に、いろいろと気づきのメッセージが降ってきました。時には友人から。時にはネットから。時には本屋で目に飛び込んできた本から。

1年位前に、日本人に多い低圧緑内障と診断されました。でもその症状や検査結果自体は5年も前から言われていたことであり、白人のお医者さんにはあまりピンとこなくて、これまで診断が明確にされなかっただけのようでした。

その時のブログはこちらです。

そんなことより何より、良かったはずの目がどんどん近視気味になり、元々の遠視も老眼として健在で、近くも遠くも焦点が合いにくい気持ち悪い状態になっていました。このまま目が見えなくなってしまうのだろうか…。そんな怯えや不安が頭をかすめ始めていた頃に独立。ほぼ丸一日、パソコン作業の日もあるほどで、目の疲れも著しくなりました。

そんな生活を半年ほど過ごした10月。日本の本屋さんで、あるインスピレーションが降ってきました。「視力回復の本を少し見てみよう。」そして見つけたのが、「たった1分 目がよくなって心も体も超スッキリ!」という一冊でした。その時の出会いの嬉しさを、こんなブログにまとめています。

⇒ 「目は必ずよみがえる!」 脱! 老眼鏡。自らの目で実験を始めました 

他にもいくつか買ったのですが、これが一番良かったです。すんなり入ってきたし、よくまとまっていました。やるべきこともとてもクリア。だから続けることができました。

上記エントリにも書きましたが、強烈に潜在意識にまで飛び込んで自分の常識を変えた言葉がふたつ、ありました。

1.なぜ「目」だけは、その自然治癒力を信じようとしないのか?

2.「見える!}と脳が信じることが回復の鍵である

本当に、「あ!」と思いました。ほんとだ…。なぜだったんだろう、肌は傷ついても時間が経てば勝手に治っていく。骨だってくっついていく。とくに骨なんて、薬で直したりできるものではなく、ギブスして固定したりして、自分の治癒力を信じて待つだけです。

老眼は筋肉の衰えだといいます。だったら意識すれば再び戻っていく可能性はある。視神経が破損してゆるやかに失明していくという緑内障だって、その傷を自然治癒力で治せないと決め込むのはおかしくないのか。切断された指だってくっついて神経がつながっていったりする事実。麻痺したと思った場所が、リハビリの末に機能し始めることもある事実があるのだから、目だって良くなって当然ではないか…?

あれからちょうど2カ月。起きているほとんどの時間パソコンのモニターを見ているか、本を呼んでいるか、iPadで読書しているか、Kindleで読書をしているか、テレビを見ています。あるいは外に出て明るい光を浴びながら運転していたり、走ったりしています。つまり、一日中ずーっと目を使っています。意識して目を休めるなんてことをしたわけではありません。

でも、確かに視力の回復を「実感」しているのです。視力検査を受けたわけではないので、数値で示すことができなくて残念ですが(ネットから検査表とかダウンロードすれば良いのでしょうが、そこまでやっていません)、身体で感じることの方が大事かなと思います。

この2カ月で体感できている変化はこんなところです。

  • 肩こりが和らいだ
  • 目が疲れなくなった
  • 世界が明るくなった
  • 大型モニターでの作業時にリーディンググラスが必要なくなった
  • 明るいレストランだとメニューが比較的見やすくなった
  • 文庫本が読めるようになった(メガネかけても読めなくなっていました)
  • Kindleの文字を、一段階小さめのフォントにして設定できるようになった
  • テレビ画面の字幕がくっきり見えるようになった
  • これらの傾向はどんどん改善している様子を感じられるようになった

酸欠状態を生みやすく、神経を圧迫する姿勢の悪さについても強く意識するようになりました。意識してみたら、走るときにも背中が丸まって首に不自然な負担がかかっているのも気づきました。それを改善すると呼吸が楽になり、腰も楽になり、以前よりもスピードが出やすくなった気がしています。

タッピングやツボ指圧、呼吸法などなど、本に書いてあることを素直に実践すると、その瞬間にすでに目の疲れが和らいでいるのを感じますし、パッと視界が明るくなるのが分かるのです。これってスゴイ効果です。

「酸欠」が視力低下の原因になるならば、他のことにも多大なる影響を及ぼしているはずです。脳だってたくさんの酸素なはずだし、体中の細胞すべてが、少ない酸素を奪い合って無理をしているのかもしれない。浅い呼吸をしている自分を意識し、時に思い切り敗に残っている空気を吐く。そうすれば新鮮な酸素を摂り入れやすくなります。燃えカスのような空気を吐き出すことが大事なんですね。吸うことばかり意識するのではなく、排気が大事だったんだ。

同年代の友人らと食事すると、皆、メニューを読むのに苦労しています。でも、「がんばって抵抗してるんだ』と笑います。その努力が、目には良いようなんですよね。一度、リーディンググラスをかけてしまうと、その度数に目が逆に合わせていってしまって、もとの焦点の取り方を忘れてしまうようです。

まだまだ眼鏡なしで暮らすには程遠いですが、せっかく他のほとんどの部分で年齢を感じずに生きることができているわけなので、目も若返りが図れるように信じていたいと思います。

緑内障も、一度かかったら二度と治らないと言われているのはウソだと、いくつかの本やウェブで読みました。よし、そうならば自分だって治してみせるぜ、とチャレンジしたくなりますね(笑)。

僕の人生はまだ半分いったかいかないか、という段階だと信じています。こんな早い段階で老いを感じるようなことがあってはいけません。マラソンで言うと35キロ地点くらいまで、人生で言うと80歳くらい?までは、すべてにおいて上向きで成長し、伸びていこうではありませんか。

「俺も頑張るから、お前も頑張れよな」と、自分の目に言い聞かせています。