皆さんは、アメリカの水泳選手ライアン・ロクテ氏をご存知ですよね。
あの、リオ・オリンピックの期間中、ブラジルで事件を起こしたお騒がせ金メダリストです。
銃をつきつけられた、強盗にあった、と会見までしたのに、それは実はウソで、酔っ払って器物破損して、警備員に追い出されただけだったと。
明け方にお酒の影響で事件を起こしたこと、国を代表しての重要イベントで、ホスト国の名誉を毀損するような「ウソ」をついたことが、当事国以外でも大きく報道されました。
結局、10カ月の試合出場停止となった彼。
ホワイトハウスでメダリストを労う儀式にも参加を許されず。
メディアで釈明するも、説得力に乏しく、あちこちでさんざんボコボコに叩かれました。
さて、ここで日本ならば、不祥事を起こした恥ずべき存在として罰せられ、しばらく干され、さんざん叩かれ続け、本人は「自粛」をして、外には出ない空白の期間をおきますよね。
アメリカだって、程度の差こそあれ、今までは、ある程度、そうだったかな、とも思います。
が、なんとロクテ選手。先週から新シリーズが始まった国民的人気番組「ダンシング・ウイズ・ザ・スターズ」に、出場してるんですね。
15人の有名無名のスターやスポーツ選手が、プロのダンサーとペアを組んで、毎週の
勝ち抜き戦を戦っていく番組。
ディズニーが所有するABCという局の放送です。
ファミリー番組でもありますが、そのキャスティングは話題性をしっかりととらえて、時に「ダーティ」なイメージの人も見つけてきます。
純粋にダンスの練習に精を出して、見違えるほど成長していく姿に、視聴者は感動するわけですが、その過程で、ダーティな人たちも、人間性まで磨かれて、人気が急上昇するという性質もあります。
やはり、身体を使って、何かに集中して極めようとすることって、精神を高めていく効果があるのでしょう。
という意味では、ロクテ選手の起用は「おお、なるほど」というところもあるのですが、常識はずれが大好きな私も、さすがに最初に出演者発表のニュースを見た時は、あまりにも急過ぎて目を疑いました。
TVは視聴率取れればいいんだから、という甘い話ではなく、一度、倫理観が問われれば、番組の好意的なブランド力だって失います。
スポンサーだって嫌がるのが筋。
でも、まあ、事件の性質もあったでしょうし(凶悪犯とか、人身、人命に支障があるものでは
なかったので)TVに何度も出演して、さんざん謝ってはいて、ある程度は落ち着いていたのは確かです。
そもそも2大会連続でメダルを取るほどの偉大な功績もあったので、彼がどんな風にメディアに出てくるのか、好奇心が勝っていたかもしれません。
ダーティなヒーローが、どうイメージを奪回するのかと。
番組の中では、何度も「誰もがセカンドチャンスに挑戦する資格がある」、「あなたの再起への挑戦を見守り、応援する」という言葉が聞かれました。
そして、番組後半、彼の出番が終わって、審査員の講評を聞いている時、なんと侵入者が彼をめがけてスタジオに入ってきたのです。
(下記のビデオに一部始終が映っています。)
彼らは、ロクテ選手に危害を加えるというよりも、抗議のためのもののようでした。
会場には、お揃いのアンチ・ロクテのTシャツを来た人が幾人かいて、何やら叫んでいました。
彼らはすぐに警備員に押さえつけられ、グループは会場外に出されました。
ロクテ選手本人も、ペアを組んだプロのダンサーも、すべての観客も、ショックを受けていたようですが、最後は逆に、ロクテ選手を応援するムードが高まりました。
他の出場者も含めて、いろんな人がコメントを求められていますが、皆がそろって口にするのはこの言葉です。
「人間は誰しも、一度や二度の間違いは犯す。そのことで人間そのものを否定せず、反省をして立ち直ろうとする者は、精一杯、応援しよう」
ロクテ選手本人も、批判を覚悟の上の出演です。
ある意味、これは「みそぎ」であり、「更生」の手段でもあります。
大衆の面前で、恥をかいて、門外漢の新しいことに挑戦する。さらしものになって批判も浴びる。
そのことが、本人を人間的にも成長させます。
ライアン・ロクテ選手で言えば、実際、彼は、ここまで人が事件のことに憤慨していて、早すぎるお祭りのようなTV出演に気分を害していているとは思っても見なかったようで、そこは本当に「甘い」「お坊ちゃん」という彼のイメージを再び浮き上がらせてしまうのですが。
でもまあ、だからこそ、彼の精神力の向上、人間的な成長には、役立つ、ということですよね。
翌週は、抗議Tシャツを逆のモチーフとして、I love ロクテのTシャツを出場者たちが着て、彼を応援していました。
アメリカは、失敗しても、何度でも次のチャンスを求めて立ち上がり、挑戦する人が大好きです。
映画「ロッキー」はその象徴みたいなものですね。
アメリカン・ドリームの本質です。
トランプ氏だって、破産したりしていますが、すぐに立ち直って、再び億万長者になったことで、評価されていますし、ドラッグ中毒で一時期を悲惨な状態で過ごすスターたちも後をたたないのですが、それでもリハビリを経験して、スターダムに戻ってくれば、暖かく迎えてくれますし、その「立ち直りのための尋常ではない努力」に惜しみない拍手をおくってくれます。
さて、日本なら、これ、どうでしょうね。
事件から、一カ月も経たない内に、出演が発表され、レッスンが始まる。
そして、お金をもらって、スター扱いされて、華やかにテレビ出演して、大衆に応援される。
「あまりにも早過ぎ」
「まったく反省してない」
「恥も良識もないのか?」
「TVは視聴率のために何でもやるのか」
「(傷ついた)ブラジルへの配慮に欠ける」
「芸能人や有名人を甘やかしてる」
そんな言葉があちこちで聞かれそうです。
まあ、まず世間からの批判を恐れて、メディアの方がこういう風には出演させないでしょうね。
それはそれで、別に間違いではないと思います。期限つきのことなのであれば。
ただ、どちらの社会が、「失敗しやすいか」というと、セカンドチャンスを奨励し、応援する社会の方が、やりやすいだろうとは思います。
幅のない社会、人の間違いに容赦ない社会にいると、自分自身の失敗にも、同じように厳しく
なりがちです。
時には、自身の戒めが怖くて、二度目のチャレンジができない。
見えない何かに縛られて、がんじがらめになって、身動きが取れない、なんてケースもあります。
アメリカは、あまりにもなんでもアリ、が過ぎて、倫理観が崩れていて、度量とかそういうことじゃない、という側面も、もちろんあります(苦笑)。
もっときちんとしようぜ、と言いたくなる場面もいっぱいあります。
でも、こうやって大衆がセカンドチャンスを応援する姿を何度も見せられると、それって、やっぱりいいなと思うのです。
今回は、ただ、こんな風に、価値観やら、ものごとへの対処がこんなにも違う社会もあるんだよ、という一例として、お伝えしたかっただけなのですが、皆さんはどう感じられますか?
どちらがいい、悪い、では全然ありませんが、この話から何か、感じていただけるものがあったら嬉しいです。