「4時間半熟睡法」が変えてくれたこと
会社に行っている頃、そしてパートナーと暮らしていた頃、十分にインプットの時間が取りたくて、誰も起きてない早朝にノコノコ起きだして、集中して本を読むのが大好きな習慣だった。
最初は5時半、そして5時、それがいつしか4時半になった。出勤が9時の時は、ジムやランニングに行くにしても7時には家を出なくてはいけなかったので、それまでの2時間半は、自分にとっての贅沢な「ひとり時間」だった。
この習慣、いつから始めたか忘れたけれど、これこそが今の自分を作る源のひとつになったと確信している。
良く誤解されるのだけれど、僕は「辛いこと」は全然続けられない弱い性格で、だから何でもちゃんと「快」に結びつけていかないとならない。苦痛はイヤ。苦しい+痛い、なんて恐ろしい二重苦(笑)。僕が習慣づけて続けることが苦手ではないのは、きっとここにヒントがあって、自分にとってどうやったらそれが「楽しいこと」に変えていけるのかのコツを知っているんだと思う。
毎日4時半に起きて本を読むなんて、人によっては修行のように辛いことなんだろうな、と思う。まして出勤前に1時間とか真剣に走ったりすることも、苦行以外の何ものでもないのかもしれない。こちらは嬉々としてやっていることなんだけれども。
自分は6時間は眠るようにしているし、それが合っている気がするが、上記の写真の本「4時間半熟睡法」は、そこまで減らしても大丈夫なんだな、ということが理論で説明されていたので、「もっと眠らなきゃ…」という強迫観念を完全に捨てるのに、とてもありがたかった。時に会食などで寝るのが遅くなっても、起きる時間を気を使って変えるなんてことをしないで済んだ。
一日がもっと長かったら…という不可能に思える希望を難なく叶えてくれた貴重な一冊なんだ。
フリーになって変えてみたかった早起きの習慣
しかしながら、フリーになった時に、まず崩したいと思ったのは早起きの習慣だ。「当たり前」のようになっていたことを、ひとつひとつ見直して再評価するプロセスとしてであって、早起きが辛かったからではまったくない。嫌々起きるようなことをしたことは過去にもしたことがなく、毎朝、また本が読める、考え事ができると思うと、ワクワクしながら起きたくらいなのだ。
ただ、考えてみれば、定時に会社に行くという必然性があったからこその早起きで、別に会社に行かないのなら少しは「一般的な」生活パターンに変えてもいいのではないか、と思っていた。夜、早く寝過ぎるのも、社交的な生活を考えると、多少不便な時がある。日本に行った時なんか、いつも起きる時間になって、やっとベッドに入るタイミングで、完全にリズムが乱れきってしまう。
ちょうどLAマラソンの疲れが抜け切れずにいた時期だったこともあって、朝7時まで寝ているのは、結構カンタンに実現できた。会社生活最後の2週間くらい、一区切りつけるためにたくさんの人と会食をして、ずっと続いた昼夜外食の生活も、間違いなく身体を疲れさせていた。
やることがとにかく多かったから、夜も11時過ぎまで机に向かう日々だった(今もだけど)。ランニングも行かず、二度寝、三度寝をして、とにかく疲労の回復に努めた。それはそれで良かったように思う。しかし、締め切り仕事が出てきたり、ブログも早く起ちあげたかったり、やることがどんどん増えてきたので寝てる場合じゃないぞと思うようにもなっていた。
7時が6時半。それが6時、5時半、5時と早まっていくのはアッと言う間だった。
そして再び4時半起きの日々
僕の睡眠時間はだいたい6時間。それだけ眠るともう十分。眠りはとても深くて途中で起きることはないし、一度起きたら二度寝はほぼ無理。ランニングを長年していると、身体の基本的なリズムの強弱がかなりクッキリしてくるようで、OnとOffの差が明確だ。
そして気が付くと、目覚ましなど関係なく、4時から4時半の間にスーッと意識が覚醒している。ふと時計を見ると4時10何分とか20何分。もうそこから寝ることができないくらい、はっきりと意識が起きている。そして「あれやりたい」「これやりたい」と、ワクワクするようなやりたいことが頭に浮かんできて、子どもの遠足のように浮き浮きと飛び起きる。
あるいは時には、今やらなきゃ!という切羽詰まったタスクがあって、ドキドキしながら緊張感と共に掛け布団を蹴って跳ね起きる。
いろんなことがあっても、寝る前から起きることが楽しみな、そんな毎日を送れることは、ものすごく幸せなことなんだと思う。