(写真提供: ホノルル協会 Hiroko Dewitz)
人間は、10日間、水も飲まず、何も食べず、寝ず、横にもならない生活を続けたら、死んでしまうのだそうです。成人の身体の60%は水分と言います。水さえ飲んでいれば、相当な期間、生きられると聞きますが、逆に一滴も飲まなかったらどうなるのか。
2014年12月13日(土)、ホノルルマラソンの前日、東海大学ホノルル校の講堂で、塩沼亮潤・大阿闍梨(あじゃり)の講演会が開催されました。ホノルル在住の日本人をはじめとする200人が集まる大きな講演会となりました。
彼は、まず「千日回峰行」という、超過酷な修行を成し遂げたことで、知られるようになりました。これまででわずか2人しか達成したことがないという生と死を彷徨う体験なのだそうです。
まずは、イベント主催者の説明から。
吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる、過酷な修行「千日回峰行」を果たした、金峯山修験本宗 慈眼寺(じげんじ)住職 塩沼亮潤 大阿闍梨が、2014年12月13日(土)、ホノルルにて『人生生涯小僧の心-大峯千日回峰行の末につかんだ世界-』と題し講演を行います。
塩沼亮潤先生は1999年、1000日歩き続けるという“千日回峰行”を満行。
片道24キロ、高低差1300メートルの山道を16時間かけて1日で往復し、1000日間で地球一周の1.2倍に相当する48000キロを歩きました。翌年には9日間、断食・断水・不眠・不臥を続ける“四無行”も満行。この修行の中で見えた世界を講演で語ってくれます。
1000日、歩き続けると言っても、修行の場である奈良・吉野の大峯山は、極寒で雪に覆われてしまう時期が長いため、1年の内、わずか4カ月しか修行ができません。120日のみです。ですから、満行までには9年という歳月がかかっているわけです。
この修行の厳しさや、そのエピソードから感じたことなどは、次回のエントリで書かせていただきます。
今回は、2つ目の過酷な修行、「四無行」について。
前記のように、人は10日間、飲まず、食わず、寝ず、横たわらずを続けたら、ほぼ確実に死に至るのだとか。だから、その1日手前の9日間で止めておくという修行です。命の保証などもちろんなく、生きたまま自分のお葬式をやってから望む、死を覚悟しての修行。
って簡単に言いますが、とんでもないことですよね。普通の人は、いや自分なら、1日足りともできません。僕は昔から寝ないで徹夜ってことができなくて、一度も完全徹夜というのをしたことがありません。しようという気にもならないけれど(苦笑)、必要に迫られたこともなく、どうしても切羽詰まったとしても、2~3時間寝て、スッキリしてから作業を続ける、みたいな方法を取ってきたわけです。
時差の苦しさも相当なもので、アメリカから日本に行くと、いつもなら起きる時間にならないと寝床につくことができないタイミング。日本で会食や夜遊びが入ると、眠気との戦いで、楽しむどころではありません。数日いれば慣れますが、お酒が入ったりすると、これまた戻っちゃったり。
電車の吊革につかまったまま、何度膝がガクンガクンとして恥ずかしい思いをしたことか…。タクシーなど乗った瞬間に寝てますからね。
だから、さぞかし、眠らないってことが一番辛いんだろうなあ~と思ったら、それは「慣れる」のだそうです。精神統一して、やらねばならないことに集中していると、大丈夫なのだとか。
食べるのは何となく大丈夫かな、と思います。寝ないのならば、横にならないのも慣れるのかな、という印象もあります。
実際、やはり、「水を飲めないこと」が一番、辛いのだそうです。
生きているだけで人は体内の水を消費していますから、1日にちょうど1キロ、体重が減っていくそうです。9日間だから9キロ。
うがいはさせていただけるようですが、なみなみに注いだ器の水を口に含み、空の器に移していく。その空の器に、きちんと同じようになみなみに水が移っていかなければ、それは水を飲んだとみなされて、修行は中止。
その誘惑に負けないことほど、きついことはないように思います。はっきり言って、拷問です。
人間、やろうと思えば何でもできるよ、という風に言いますが、すみません、これはやる前からギブアップです。
彼がなぜこのような修行をやるに至ったのか。そしてその過程で得たものは何なのか。
次回のブログにまとめます。
この日の講演会には、ちょうどハワイにいらした東海大学出身の巨人軍、原監督が参加され、真っ先に質問に手を上げていらっしゃいました。
日本の新聞でも、報道されていたんですね。
千日回峰行についてまとめた後編に続きます。
⇒ 「千日間48キロの山道を登って降りて千日回峰行の修行を完遂した住職のハワイ講演会(その2)」