「結婚しないの?」ハラスメント(笑)
最近、「結婚はしないんですか?」と聞かれることが、たまにあります。
30前後で親戚から聞かれていたのとは意味合いが違って、パートナーがいると知っている人から、「せっかく合法になったのだから、籍入れないの?」という意味で問われる言葉です。
22年前だったら、迷わずしたかもしれないですね。
「永住権」のために(笑)。
でも、今は永住権も持っているし、望むなら市民権を申請することもできるようになったし、今さら結婚?というのが、なんとなく実感わかないのですね。
そもそも、自分には無縁なものとして、考えたことがなかったし、だいたい結婚なんて、ある意味、勢いとかタイミングとか、大事じゃないですか?
まったりと幸せに22年も一緒に暮らしてくると、とくに今、何か急いで形にしないと、という切羽詰まった感はないわけです。
でも、将来もしない、とか決めているわけでもなくて、何かきっかけがあれば、するかもしれないし、しないかもしれないし。そんな感じです。
「お子さんはおいくつですか?」という質問の気まずさ
さて、今回は、子どもの話。
カミングアウトというのは、一度、誰かにしたらいいというのではなくて、会う人、会う人に、いちいち新たにしていかない限り、全体に知れ渡ることはなくて、だから、仕事の話では、時折、無邪気に聞かれたりしました。
「上野さん、お子さんはおいくつですか?」と。
日本という社会は、とくに、ある程度の歳になったら結婚して、子どもができて、という決まったパターンで生きるのが当たり前な社会だったこともあって、気を使う、ということなく、スパっと気持ちよく聞かれます(笑)。
そういう「疑いなき人」に対して、どうやって、気まずくならないように、真実を告げるか、というのは、なかなか苦労するものです。
「私はゲイなんですよ」
とひと言で済ませてもいいんですが、アメリカだと、だから?という感じで、ゲイだって子どもを持っているカップルはたくさんいたりするので、やや複雑です。
もし、ホントのことをきちんと誠意を持って説明するのであれば、こんな感じになります。
「ゲイで、ずっと一緒に暮らしているパートナーはいるんだけれど、まだ籍も入れてなくて、いつか養子でもね、なんて話したことはあるのですが、結局、自分たちが落ち着かないままで、ハワイからロサンゼルスに引っ越して来たこともあったり、独立したりして不安定になったこともあって、今は養子の可能性も追求はしていない段階なんですよ。でも、将来はわからないですけどね」
これ、初対面の社交の場で言ったら、かなーり白けますよね。
相手が日本人だったら、相当、驚かせてしまうでしょう。そもそも、「いない」という前提を考えてすらいない人なのだから。(それ自体が、すごいことだけど…)
一番、嫌なのは、相手に「しまった…」という顔をされることですね。
別に、恥をかかせたいわけでもないし、こちらはどうでもいい話なので、たいしたことなくお話しちゃうのですけど、相手は「すごく大事な、センシティブなエリアに踏み込んでしまい、こんなプライバシーまで告白させるデリカシーのないことをしてしまった」と勝手に反省などしてほしくないのです。
本当になんでもないことなので。
だから、「上野さんってゲイなのよ」って、皆には触れ回っておいてほしいのですが(笑)、なかなかそれもまた「アウティング」とか言って、本人の許可なくしてはいけない、ハラスメント行為だったりもするので、触らぬが仏にならざるをえないところはありますね。
「ノンママという生き方」「ノンママ白書」が伝えたいこと
先週から日本で始まったドラマ「ノンママ白書」の原本となった、香山リカさんの「ノンママという生き方 子のない女はダメですか?」を読みました。
同著者の「50オトコはなぜ劣化したのか」を買ったら、Amazonにおすすめされたので、面白そうだなと思って読んだのですが、実際にノンママという生き方をしている方の書いた読みものとして、素直に面白かったです。
が、読者は選ぶのだろうな、とは思います。
参考 どうした50代!君たちは「ゆでガエル」だ|特集にゆでガエルからの反論?
どう読者を選ぶのか、というと、たぶん同世代じゃないと、なかなかピンときにくい社会背景がふんだんに散りばめられていて、だからこそ、ドラマもあんな風に、注釈いっぱいで描かれないとならなかったのかもしれません。
あと、この話題は、子どもがいる人、いない人、男、女、LGBT、それぞれに、見方、感じ方が違うものでもあるでしょう。
彼女は決して、ノンママが偉い、とか、ノンママで残念、これはダメ、あれはダメ、とか、そういうことは書いてないし、思ってもいないですよね。
ただ、こうなってしまって、こうやって生きている人からの「視点」を描写しているだけなのですが、それが、とても新鮮な発見になっているのではないでしょうか。
ドラマ「ノンママ白書」は、鈴木保奈美さんや菊池桃子さんと言った顔ぶれ、そして「あすなろ白書」などを思い出させるタイトルで、バブル世代にはピンと来る企画。
企画、という言い方がたぶん正しいと思えるような、純粋なドラマというよりも、ある種の提言、だったり、時代を映すひとつの現象を描いたドラマタイゼーションとして見た方が、入りやすいかもしれないですね。
(YouTubeにあったのですが、すぐに消されちゃうかもしれないので、あえてリンクは張りませんが、興味がある方は検索してみてください。連続ものです。)
クライアントさんには、アラフォー女性が多いのですが、シングルの方も多いですし、当然、子どもがいない方もたくさんいます。
出産に関していえば瀬戸際世代、ということで、そのような話題にもなりますし、事実、苦心して治療している方なんかもいらっしゃいます。
かと思うと、ドラマの主人公たちのように、すでに自分で生む可能性はなくなったクライアントもたくさんいます。
子育て中の方もいるし、だから、それぞれの生き方、ものの見方、選択、価値観、他者への見方などがあって、全体を俯瞰して見られる私としては、ケーススタディとして、ひじょうに興味深いです。
それぞれの人生をリスペクトする
この本を読み、ドラマの初回を見ながら、思い出していました。
10年位前だったか、ハワイでとあるパーティがあった時、ある40代女性(子持ち+会社の役員クラス)が、ある30代女性に、思い切り言ったのです。
「◯◯ちゃん、結婚はしてもしなくてもいいけど、女として子どもだけは産みなさい~。女は子どもを産んでこそ一人前なのよ!」
その口調がかなりきつめで、昭和のドラマで赤木春恵さんが言うようなセリフ調だったこともあり、その内容が自分には驚くべき内容であったこともあり、潜在意識に刻まれてしまったようです。
そうなのか、いまだにそんなことを疑いもせずに口にできる「現代の人」がちゃんといるのかと衝撃でした。
もうひとつ、余計なことも思い出しました。
「女のひとりも説得できず、いつまでも結婚もできないでいる男は、大きな仕事を任せる相手として信用ができない」
40間際になっても結婚していない私のことを、何かの大事な契約の相手先として考えることはできない、という理由を、同世代のその方は、そんな風におっしゃったのでした。
自分がたまたま、隠れマイノリティとして長く生きてきてしまったので、世の中と自分を切り離して、他人事として外側からいろいろ観察するクセがつき、感情が傷つく、ということは全然ないのですが、やはり驚きはしましたね。
結婚する、しない、ということを、こんな風に仕事の能力と結びつけて考えてしまう人が、自分の世代にもまだいるんだ、ということに。
気がつけば、私の周りには、アラフォー、アラフィフでノンママな友人が山ほどいます。
皆、イキイキと、輝きまくって元気に未来を向いて生きています。
シングル女性、バツイチ女性なんて、数えきれないほどいるというか、そうじゃない人をピックアップする方が難しいハワイ&ロサンゼルス(爆)。
アメリカの良いところは、年齢に関係なく、望みさえすれば、いつでもちゃんと恋愛のマーケットがあるというところでしょうか。
何歳だろうと、恋をするのは当たり前。それどころか、「必要」とさえ思っている社会。
老け込んでいる暇なんか、ないんですよね。
どんな人の、どんな人生も、外側から見ているだけでは全然、わかりません。
ひと皮むけば、あれ、っていうことも多い。
だからこそ、人の人生を、根っこのところでリスペクトし、自分の価値観の押し付けはしないようにしていきたいですね。
同時に、自分と同じ環境じゃないと、自分の置かれている立場がわからない、という決め付けもやめた方がいいです。
本当に同じ環境なんてどこにもないし、被害者意識の塊になる前に、相手のことも思いはかる余裕がほしいですね。
ドラマの中で、主役に寄ってたかって男子社員が言っているセリフは、なんでもないもののようで、実はナイフのように尖っています。
ああ、そういえば、自分もこれ、やられたな、って、ここでもまたチクっとする体験を思い出したりもしていました。