ホノルルのダウンタウンからアラモアナ・センターに行く途中、昔のオフィスがあった場所を通りました。2005年にはワイキキにオフィスを移動したのですが、初期の、いろいろあった頃の思い出が濃縮された場所なので、通るたびに胃がキュンとなったりします。恋しくて胸がキュンとなるのと違って、あんまり良くない反応ではあります(苦笑)。
今日はさらに季節柄、ある事件を思い出して、キュンどころかドキドキしてしまいました。クリスマス+ホノルルマラソン。この組み合わせが僕のドキドキを誘うのです…。
忘れもしない2003年の12月、日本人観光客向けフリー誌とウェブサイトを運営する会社の社長になってまだ間もない頃。Vice Presidentで営業部長だった方もラーメン屋さんを開業するということで退社され、心細い状況で始まった新しい月。
その時、発刊していた雑誌は12月1日発行で、日本で印刷されたばかりの最新号の一部が航空便で届き、街に配布され始めました。通常なら追っかけ船便も届いて、そこから3カ月間、旅行客の皆さんにお楽しみいただくのです。
実際、船便はタイムリーに届いたのですが、なぜか税関で引っかかって出てきません。いや、どうやら税関ではなくて、単にコンテナを乗せて運ぶトラック用のシャーシが足りない、ということらしいです。
ホノルルマラソンのシーズンに入って、日本からどんどん観光客が到着します。航空便で届いた分の雑誌はもう残り僅か。
そもそもなぜシャーシが足りないかと言うと、街角でアメリカ本土から届いた生のクリスマスツリーを売るために、シャーシごとコンテナを置きっぱなしにしているからなのだと聞きました。
いやいや、コンテナからツリーを出して売り場に飾って、コンテナは即刻シャーシごと港に戻せば済む話じゃないの?とまともな人は思うはずなのですが、すぐ売り切れちゃうし、もうすぐだから待ちなさいと呑気に構えられています。さすがハワイ。これで何度目の洗礼だろう…と涙目になります。
こちらは、約束の納品日に届かないのは違反なので、ガンガン文句を言いますが、聞く耳持たず。じゃあ、届いているコンテナから、必要な数だけ出させてよと配本業者さんが一生懸命交渉するも、組合員じゃないと貨物を受け取りに行くことはできないとか、怪我したら責任が取れないからダメだとか、とにかく融通をきかせていただけません。
でもその時は、まだ事の深刻さが分かってなかったのです、自分も。
マラソンを明後日に控えた金曜日が来ました。本格的に入り始めた観光客で、ワイキキの雑誌ラックはすっからかんです。広告を出してくれているお客様からクレームの電話が入り始めました。とくに、お店を持たず、電話で商売をしているオプショナル・ツアー販売の会社からの悲鳴に近い怒鳴り声が印象に残っています。
広告効果のある雑誌だったようで、配られていないと電話が鳴らないからすぐに分かるのだそうです。(効果があることを、広告主がおおらかに認めてくれることは逆に稀なので、それはそれで良い情報だったのですが。)
「おかしいなあ、と思ってワイキキに行ってみたら、あっちもこっちも空っぽじゃないか。どうなってるんだ~!」と心底怒っています。というか、困っているんですよね。事情を一生懸命説明するのですが、それは先方には一切関係ないこと。何十分も怒鳴られ続けます。しまいには、この間の広告代は払えない!とか、この間の売り上げ分を補償しろ!とか、どんどん興奮してしまわれて、どうにもこうにも収まりがつきません。そんな電話が2-3件、続きました。
しかもこの日は金曜日。今日、荷物が出てこなければ、土日は港もお休みなので(休むな~)、次に出てくる可能性があるとしても月曜日まで待たねばなりません。マラソンを終えた人々がホッとして一気にツアーを申し込む週末だというのに、雑誌がどこにも配られていなければ意味がありません…。
空港や、ショッピングセンターから、残っている雑誌をかき集めて、ランナーで賑わう金曜の夜のワイキキを、ガラガラと台車を引っ張って補充していきます。そんなものは一瞬でなくなってしまうのですが、何もしていないと不安で仕方ないから、島中を運転しては、かき集めて、ワイキキに補充して夜中まで過ごしました。
土曜も一部のスタッフに出勤してもらい、全顧客にファックスとウェブで、時々刻々、詳細に渡って事情を説明しました。
背景を説明して全面的にお詫びし、先手、先手を打ったことで、実は後で高く評価していただくのですが、その時は、エントリしたマラソンにも出るどころではなく(当たり前)、気が気ではない週末。そして実際に雑誌を街に並べることができたのは、水曜になってからでした。日本からの出張者がいて、相当数を運んでくれたり、関係パートナーの温かい支援も心強かったです。つくづく人との関係で仕事とは成り立っているのだなと有り難みを感じていました。
同時に、自分のビジネスに対する姿勢の甘さを思い知り、愕然とした体験でもありました。それ以前と、それ以後とで、仕事への姿勢がガラリと変わったのは間違いありません。初めて自分のやっていることの意味が実感できたのが、この時だったかと思います。もちろん広告費の支払い拒否や日割りディスカウントに要求もあったりで、実害も発生しました。
自分がどこでどう学んだのかわからないけど、「危機管理」の基本を抑えられたことで、会社への信頼感を失わずに済んだのは収穫でした。数名のクライアントさんからは、「あの対応は見事だった。学ばせてもらった」「ハワイにもこんな誠実な経営者がいるのねって感心してたのよ~」などと言っていただき、ちょっと辛い思いをした後だったので、ホロリとしてしまったのでした。
その後は、配送の会社などに事前手配しておけば良いことも教わって、港からスムーズに出てくるのが当たり前になりました。何事も経験。こうやって、痛い思いをしながら、皆、学んでいくのですね。
ということで、クリスマスツリーが街で売られるようになり、ホノルルマラソンの群衆が到着し始めると、どうしてもこの時のことを思い出して、ドキドキが始まってしまうのでした。