9月から10月にかけて日本にトータルで4週間いたのですが、友人らが実現してくれたセミナーや食事会を通じて、たくさんの方とお話をすることができて、本当にかけがえのない体験となりました。
ハワイもロサンゼルスも、日本からたくさんのお客様がいらっしゃいますが、やはり日本というホームグラウンドで一度に大量の皆様とお会いしたことが、「傾向と対策」を知る意味で大いに役に立ちました。
なんの「傾向」かと言うと、それは日本社会に根づいた思考パターン、あるいは癖のようなもの。
ああ、こういう言葉にはこう反応されるんだな。それはどこから来てるのかな。ああ、ここに心のブレーキが隠れてるんだなと知ることによって、心のプログラムの元を辿ってメカニズムを解明しやすくなります。
NLPのマスタープラクティショナーを取得する過程で、僕らは「金庫破りであれ」と教わっています。人の言葉や反応、呼吸のタイミングからちょっとした表情の変化でさえも見逃すな、ということなんですね。そのくらい敏感に、微細な反応を観察して、潜在意識に潜んだ「思考パターン」や「限界を作るビリーフ」を知る手がかりとしていく訓練をされます。
今回、あらためて印象に残ったことで言うと、総体的に日本の皆さんは、とても「年齢」のことを気にされます。自分ではそういう意識がないかもしれないのですが、僕が会った方の中にはとても多かったのです。
もう40だし。もう50だし。あるいは、もう25だし…。
別にいくつでも関係ないんですよね。どんな場面で、誰の何と比べているのかによって、何歳であっても、年齢がブレーキファクターとして浮上してきます。
時には、それは「歳を取り過ぎている」ということではなくて、「まだ若過ぎる」という、逆の意味でもブレーキとして出てきます。ここでいうブレーキとは、つまりは「やらない言い訳」なんですね。
先日、アメリカの価値観や移住、海外で活躍することの意義などについて日本で話す機会を持っている知人らと話したのですが、彼らもまったく同じことを言っていました。その上で、
「アメリカには、何歳でも、どんなことでも始めたりする例が周りにたくさんあり過ぎて、年齢を言い訳にできる隙間なんかないんですよね。」
いやいや、本当にその通りです。
何歳になっても新しいことにチャレンジするし、どこの出身だろうと、英語ができなかろうと、成功する人は後を絶たない。それに対して、ねたんだり、ひがんだりするのではなく、努力を讃え、賞賛と憧憬の眼差しでリスペクトを払う。惜しみない拍手を贈る。
そんな社会にいると、年齢って何も意味しないどころか、人が単に言い訳の材料として使っているだけってことに気づかされてしまうのです。
老い、というのは確かに避けがたく訪れるものですが、それは肉体のもの。精神の老いは、選択の問題です。
自ら年齢を言い訳に使った瞬間、人は老いていきます。年齢のことを話すのは構わないと思いますが、それがどんなコンテクスト(文脈)で、何を意図して使われているかが問題。
ライフコーチのセッションではほとんど必ず皆が年齢のことを口にするので、注意深く聞いて、とりあえずは「年齢のことを言う自分に気づきましょう」とアドバイスをします。ほとんどの人は無意識なので、ハッとします。
僕は年齢を気にするのが嫌で、50歳でマラソンの新記録を作り、52歳でフリーランスになり、トライアスロンに初挑戦しました。
どうやら見た目は10~15歳くらい若いらしいので、自分自身にも年齢詐称して、図々しく万年36歳位なつもりで生きていこうと思います(笑)。