いろいろな方と話すにつけ、罪悪感を抱えて生きている人って、多いんだなあ~と思う今日この頃です。
何に対しての罪悪感かというと人それぞれなのですが、そのために犠牲にしていることは共通していて、それは「自分自身」です。
私も思えば、長いこと、罪悪感に苛まれながら暮らしてきました。
やるべきなのに、やっていないこと。
できることなのに、やってないこと。
いろんなことの背後に、罪悪感が隠れていました。
そして、いつもそこに母の声が聴こえました。
「あんたは、やればちゃんとできるのに本当に欲がない…」
実は、同じようなことを、最初に入った会社の女性社長にも言われました。
「あなたは怠け者なのよ。やればできるのに…」
これは強烈な体験でした。
まさか、怠け者、というカテゴリに自分がくくられるとは!
子どもの時の記憶が、強化されて、永遠の真実になった瞬間かもしれません(笑)。
そうか、俺は怠け者なのか、と。
ちゃんと認めてもらうためには、もっともっとやらないといかんのか、と。
本来は、ちゃんと評価してくれていて、だからこそ、期待してくれていて、もっと頑張れば、もっとできるよ、と、「激励」してくれていたのだろうな、という解釈も今ならできるのですが、まさか、当時はそんな風には、とても取れず。
昭和の親や上司の言葉は、ひたすら厳しく、セルフイメージはどんどん下がっていくばかりでした…(涙)。
遊んでいる時間、楽しんでいる時間、リラックスしている時間に、ふと罪悪感が忍び込んできては、こんなことをしている場合なのか?と責め立てます。
そこからの回復には、長い長い時間がかかりました。
それは、また別な機会にお話するとして。
ライフコーチのクライアントさんにも、「罪悪感」たっぷりな方が、次々と現れます。
常に150%の仕事をしないと不安な方とか。自分のことより、常に旦那さんやお子さんが優先なお母さんとか(これ、実に多し)。
そういう方の共通の特徴は、とにかく「我慢」してしまうことです。自分を犠牲にして、人のために、何かのために、尽くしてしまう。
そして、かつての私のように気が抜けない。息抜きが苦手。
やってみても、そのことがまた罪悪感を呼ぶので、いっそ、止まらず働き続けてた方が気が楽なんですよね。
楽しみのために、エンドレスで働くのはいいのですが、罪悪感でそれをやっていると、どうにもこうにもストレスは溜まってしまいます。
レジャーや、美容や、趣味や、おしゃれや友だちとの時間や、そういったものに時間やお金をかけることにも罪の意識が強くて、自分のことは、すべて後回し。
人への奉仕の精神という名のもとにやっていることが、曲がりくねった形で蓄積していくのが人間の心理というもののようで、いつしかそれが、「やってあげてるのに……」「自分はこんなに我慢してるのに……」という不満に変わっていったりします。
誰も、あなたにそんな我慢は求めてもいないのに。
勝手に、自分が進んでやっていることなのに、人の「身勝手さ」が理不尽に思えて苛立ってしまう。
罪悪感から解放される唯一の方法は、「誰もそんなことをあなたに望んでないよ」と気づくことですね。
あなたの回りの、あなたのことを愛している人が真に望んでいるのは、あなたが心から自分らしく、幸せで、充足した日々を過ごすことです。
あなたが幸せそうに笑顔でいれば、回りも自然と幸せになります。
逆に、あなたが不幸そうだったり、キリキリしていたり、なんだか不安に苛まれていたり、人生に不満を抱えていたりすると、それだけで回りは辛くなりますよね。
私は、それこそ、「罪」かな、と思うわけです。
あなたが、まずあなた自身をケアして、幸せにしてあげないといけない理由はそこにあります。
でも、我慢している内にその状態があまりにも当たり前になってしまって、自分の欲望が見えなくなってしまっている方も、たくさんいます。
自分がしたいこと。
自分にしてあげたいこと。
それが、出てこなくなる。
貧すれば鈍する、ではないですが、欲望は、抑えている内に、なくなってしまったりするんですね。
いや、ほんと、これが一番怖いなと思う。
自分をケアするって、どういうことか?
それを教えてくれる機会が、あまりにも少ないからでもあるかと思います。
欲望は、生きる希望でもあります。
「夢の源」でもあります。
夢を見るためにも、筋肉が必要です。
「夢筋」は、ちゃんと筋トレをしないとしぼんで衰えてしまう。
素直な心からの欲望は、その筋肉を作るために不可欠な栄養分みたいなものです。