恐怖は常に無知から生まれる。知れば知るほど恐怖は薄らいでゆく

I love you 答えてくれ

とある本を読んでいたら、こんな言葉に出会いました。

「Fear always springs from ignorance.(恐怖は常に無知から生まれる)」

これは、19世紀の思想家エマーソンさん(Ralph Waldo Emerson)の言葉です。

実際、僕らが怖いと思うことは、「知らない」あるいは「知ること、予測することが不可能である」ことから来ているように思います。

昔の日本の人は、怖いものを「地震・雷・火事・親父」と表現していました。いずれも、いつ起こるか予測ができないものばかりです。御嶽山が予兆もなく噴火して火山灰でたくさんの犠牲者を出しました。地震も雷も津波も、天災関係は皆、不意打ちです。そして人間が何をしても及ばない強大な力を見せつけます。

幽霊は見えないところから突然出てくるから怖い。ゴキブリもぞろぞろっと、いるはずのないところから突然現れるから怖い。火事も火元がわからない内にさっと燃えて勢いづくから怖い。

親父は何だろう。かつての親父さんは、いつどんな時に不機嫌で怒鳴りつけてくるか分からないから怖かったんでしょうか(笑)。(僕にとっての雷親父は、星一徹です。) 

人前で話すのが怖い、という人がよく相談に来るのですが、準備は十分にしてますか?と聞くと、たいていの方は不十分。ひどい人はぶっつけ本番でやろうとしてドキドキ、わなわな震えています。

話す内容は十分に練られているのか。練習は何十回も入念に行ったのか。ちゃんと人の前で練習したのか。アドバイスは受けて、作り直してきたのか。話す場所は見たこと、行ったことがあるのか。観衆のことはどれ位、理解しているのか。そもそもその体験から何を得ようとしているのか…。

などなど、知らないことはたくさんあるし、知るべきこともたくさんある。それをひとつひとつ、つぶしていくと、だんだんと「未知」を「既知」に近づけることはできます。分かれば分かるほど、恐怖は薄らいでいくし、楽しめるようにすらなっていくものです。

人と人も一緒だな、と思います。

個々で知りあえば、皆、良い人なのに、「あの国は変」と、知らない国のことを平気で言ってしまったりする。それは単に知らないから。

ならば、知ればいいだけなんです。

言葉の違い、宗教の違い、肌の色の違い、習慣の違い。

知らない内は、違いばかりが目に入るけれど、実は知っていくに従って、共通点ばかりが見えてくるものです。

家族に対する愛情。学びや成長への意欲、欲望。人を敬い幸せにしたいという願い。命を尊ぶ心。

似ているところを探そうとすれば、なーんだ、一見違うように見えながらも、人間なんて皆、一緒じゃないかと悟ることができるものだと言います。そうすると、不思議に恐怖心なんか消えていく。相手を憎む気持ちも最初からわいてこない。

ましてや、罪もない同じ人間同士を殺し合うことなんかできるはずもない。

中島みゆきさんの歌に、「顔のない街の中で」という歌があるのですが、明るいメロディに乗せて深い世界が展開されています。日本の場合、歌詞の著作権があるので、雰囲気を自分の言葉に直して書くとすると、こうなります。

見知らぬ人だと、人として扱わず、もののように接してしまう。
命の重みも笑顔の大切さも考えず。

ならば「知ればいい」。見知らぬ人の命を思い知るまで「見知る」のだ。

顔のない街の中で、国の中で、世界の中で。
「人」の顔が見えるまで知ることで、誰もが隣人同士になれる。

知らないこと。知らない考え方。知らない人。

僕らの本能は、知らないことに対して警鐘の意味で、そっと恐怖のサインを送ってきますが、それは新しい環境に対応する時期だよと教えてくれているだけ。それは、恐怖の対象を排除せよ、ということではありません。

僕らがすべき努力は、唯一、相手を知る、ということ。「見知らぬものを見知る」努力なんです。

新しいことに挑戦するために、知らない人を理解して世界中が隣人となるために。

上記の「顔のない街の中で」は、「I Love You,答えてくれ」の中に収録されています。

コメント

  1. しまうま より:

    「親父」は台風だと言われていますね。

    親父の由来といわれる説の一つに、昔の台風は『大山嵐(おおやまじ)』『大風(おおやじ)』と呼ばれていた事から、いつしかこれが親父に変化した、というのがあるらしいです。