高度成長の時代に育った人が唱える価値観がまだまだ支配している社会では、経済の成長こそがすべての「答え」でした。
より大きく。より多く。より高く。より上を目指して。
それが、より豊かであることにつながると信じる社会の価値観が、かつてはありました。
でも、今は、本当は少し、違うはず。
それでもなお、今も、かつての価値観に基づいた「成功法則」が、人々に期待されたりもしていて、ライフコーチをする際にも、違和感を覚えることがあります。
「人はお金に集まってくるんだから」周りでアドバイスをくださる方も、口をそろえておっしゃいますが、なんだか、しっくり来ません。
豊かさとは、「心」の問題ですね。お金や富、資産の絶対額ではない。きれいごとでしょうか。
2010年に読んで、激しい衝撃を覚えた本があります。
⇒ 「減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)>
こうあるべき。こういうのが幸せ。これこそが成功者の姿。
そうやって「洗脳」されてできた思考パターンでは、年収が減ることは、人生における失敗であり、大いなる挫折です。
でも、本当にそうなのだろうか、と、「洗脳」からすっと解いてくれるのが、こちらの本です。
豊かな「気持ち」で生きることができる最低限の収入があればいいと決意した著者は、年収600万円から350万円に減っても、ひとりで働くバーを起業して、幸せに暮らしています。
社会的な貢献活動も十分にしています。
それが、自分の人生のミッションだと信じるからです。
収入が上がることによる幸せ感、というのは、年収500万円でも、5000万円でも、たいして変わらないものだ、という人もいます。
自分に照らし合わせてみても、あるポイントで確かに収入増に伴う喜びは減り、所有欲も失せ、逆に「断捨離」なんてことに、ドキドキするほどの喜びを見出していました。
きっともともと、贅沢なものを買うとか、高価なレストランに行くとかに、さほど満足感を感じる方ではなかったのかもしれません。
(ほんとかな? ちょっと断言する自信、ありません。苦笑)
ちょろっとやってみて、ふむふむ、こういうものか、とのぞき見したところで、もういいか、と思えたのか。
(いや、まだまだ入り口にすら立ってないので、わかったふりしているだけだろうと思います。)
だから、目の前の必要なものが、それほど不自由なく買えて、衣食住に困らなくて、年に一度くらい飛行機に乗る旅ができればいいや、程度に思っているのかもしれません。
あとは、「読みたい本を迷わず買える」とか、「自然食スーパーでひるまず有機野菜が買える」とか(笑)。
とても、ささやかなことが、豊かさの基準だったりして。
それより今は、そうやって買った本を読む時間がほしい。
朝、起きた時に、生きていることの喜びを噛み締められるくらいの、安定した健康がほしい。
本当にほしいものは、そうやってお金とは実は無縁なものだったりもする、ということに、いい加減、気がついてきています。
それは、貧すれば鈍する、ということと、ちょっと違うのではないか、と思うのです。
決して、欲望を押し殺しているわけでもないので。
もちろん、お金があると、選択が増えます。時間も買えるし自由度も飛躍的に増えます。だから、「便利」ですよね。
そこは魅力ですが、それ以上かな、どうかな、と。
そうやって、「洗脳」から次々と解かれてみると、生きることが、とても楽で、楽しくなってきます。
車を運転しているときは見えなかった景色が、ジョギングすると、くっきりと見えてきます。
散歩に変えてスピードを落とせば、花の匂いすら気づくことができるのです。
ダウンシフトって、そういうことかなあ、と私なりに理解しています。
会社辞めて、いろんなこと試してる、この1年半。
案外、結果として、そういう風になってるかもしれません。
たくさんの考える時間を持てていること。それを、とても有り難く思います。
そんな風に、人生を一度、ダウンシフトして、本当の豊かさとは何かについて、考えなおす機会をもうけてみてはいかがでしょうか?
人のものさしで、自分の人生を測ってみても、まったく意味はありませんよね。
もちろん、簡単ではなくて、罪悪感とか、憔悴とか、冷や汗とか、不安とか、いろんな感情が沸き起こります。
でも、それを自覚することも含めて、「自分を知る」良い機会ですし、価値ある時間になるように思います。