(2014年夏の記事を改訂してアップしています。)
ワークショップの一番初めの自己紹介。
最初は何だか緊張気味なトーンで始まるものの、「なぜこのワークショップに参加したのか」「終わった時に、どんな状態になっていたいか」を話し始めると、誰もが皆、重めの口を覚悟を持って開く。
明るく挨拶をしていた彼ら、彼女たちの口から漏れる言葉からは、もがきや痛みや苦しみがにじみ出て、参加者全員の心を打つ。シーンと静まり返る部屋。
まだ自己紹介しかしていない状態なのに、ハンカチを涙で濡らす人たちが出てきたり、え、そこまで言ってしまうの?とこちらがドキドキするくらいに、誰にも話したことのないような自身の真実を開示したりする人も出てきたりする。
もらい泣きして、ハンカチを濡らす人。その痛みの深刻さに背筋を伸ばして姿勢を正す人。
皆、これから始まることの、それぞれの心への重要な意味を知って、身が引き締まります。もちろん、主催している自分が一番、結果を出してあげなくてはと緊張する瞬間です。
このプロセスが、その先のワークやシェアリングにひじょうに大切なので、時間を区切り過ぎず、話したいだけ話していいようにガイドしています。
普段は誰もが痛みや苦しみにフタをして生きているんですね。
それを感じることすらないくらい、あるいは感じたら辛いから、感じないように心を閉ざして暮らしている。
その内に、心の開き方を忘れてしまったりするわけです。
固く閉ざしたまま、自分では開けることができなくなってしまうことは多いです。
開けない内は、解決もしない。
そのことを皆、本能的に知っているから、覚悟を決めて、無理やりこじ開けて共有するのです。
この機会を待ってました、とばかりに。
涙は、心を浄化してくれる最高の処方薬です。
泣けない時は、本当の自分じゃない。
感覚のドアをピタッと閉ざし、傷つくことを怖れて心に鎧を着せている状態。
それでは何も解決しない。
人間は治す必要のある壊れた存在ではないし、心なんて折れたりはしないけれど、心を塞ぐ原因となっている「何か」は、涙で溶かして、洗い流し、外に出すことができるようです。
それは儀式のようなものでもあり、高熱が出た時に、汗が身体を解毒するのと、似たような作用なのだと思います。
「涙は心の汗」という言葉が、先日のワークショップの時に浮かんできました。
これって、どこで最初に聞いたんだっけなあ…とジーっと後で考えていたのですが、あ、これだ、と思い出しました。
昭和の匂いがプンプン漂って、胸がキュンとしちゃうのですが、小学生の時に夢中で見ていたドラマ「われら青春」の主題歌の歌詞でした。
♫
生まれてきたのはなぜさ
教えて僕らは誰さ
遠い雲に聞いてみても何も言わないだから探すんだ君と。でっかい青空の下で
この若さをすべて賭けて良い何かを愛する人がいるなら、求めるものがあるなら
何にも怖くはないさ、そいつが青春涙は心の汗だ。たっぷり流していこうぜ
二度と戻らない今日のために ♫(「帰らざる日々のために」)
あらためて歌詞を読みながら、YouTubeで見つけた歌を聴きながら、心がグラグラと揺さぶられてしまう自分が不思議です。
こんな風に心がインスパイアされる歌やドラマの世界に憧れて、大学ノートにいっぱいストーリーを書いて遊んでいた小学生時代でした(笑)。