思い通りにいかないことがあったら、それは学びのチャンス

ladowntown

ある日、夢の中で、こんなことを言われて、ドキドキ目が覚めました。

「お前、きれいに生きようとか考えてんじゃないだろうな!」

えー、そんなことはまったくないと思うのだけれど、と思いつつ、不思議に記憶に残ってしまいました。

なんだかドラマのある場面のようでもあり、でもそれはアメリカ人っぽい感じで、なのになぜか日本語で(笑)。不思議な夢です。何かと何かがシンクロしてしまったかのようで。

最近、思うところあって、映画やドラマや小説などのフィクションを大量インプット中で、潜在意識も混乱しまくってんだろうなあと思います(笑)。

しかし、思い返してみれば、最近のクライアントさんとの面談で、そんな風に言いたくなる場面がいくつもあったのでした。(もちろん丁寧な表現で、ですが)

思うように、プランが進まないこと。

思うように、人が動かないこと。

思うように、上に向かって上れてないこと。

思うように、収益が上がってないこと

そのようなことを嘆いて、自分を裁き、落ち込み、どうやって再び気持ちを持ち直していけば良いか、考えあぐねているような、そんな感じのクライアント。

そんな時は、どうしてもやはり人と自分を比べていたりします。

あの人は、こんなにうまく行っているのに、なぜ私は……と。

以前、他人の芝生は青く見えるものだというブログを書いたことがありますが、まさにこれも同様のケースですね。

参考 「隣の芝生はいつでも青く見える。淡々と自分の努力を続けよう

どんな人の人生も、一日、一日をクローズアップしてみたら、アップダウンの連続だと思います。だけど、ダウンの時に気持ちを必要以上に落とさず、コツコツと努力を繰り返していると、ちゃんとアップの時が巡ってくる。

アップが、ダウンよりも少しだけ多く、少しだけ高さがあれば、結果としては、右肩上がりで上がっていきます。その結果が見えるのに、何年もかかる場合がありますが、それは決して、後退ではないわけです。

人生のストーリーというのは、後で振り返って語ると、それはとても滑らかで、「きれいな人生」に、見えてくるものです。

それは、ぎゅっと凝縮して話すからであって、一日、一日、あるいは、一時間単位で見たら、いろいろあるわけです。

ただ、なかなかそこは見えにくい。

自分も経験ありますし、いつも、今でも、やっぱり「きれいな上昇カーブ」を描きたくて、描けなくて、悩んでしまいます。

人を羨ましく思い、それがなぜ、自分ではないのか、と、嘆き、悲しみ、モチベーションを落としてしまう結果になったりもします。

でも、そんな、100%良いことばかりな、きれいな人生なんてないですよね。

あるとしたら、ダウン期でさえも楽しんでしまえるメンタリティがあるか、ないか。そこが分かれ目かもしれません。

ダウン期に、どれだけ学べたか、気づけたか。突き抜けるために模索して、力をつけることができたか、なのかなあと。

その時期があったから、今がある、みたいに「結果的に」思えたら、それは、振り返った時に、「きれいなストーリー」になっている可能性はあります。

時に、ダウンがずっと続いて、え、まだ下があるの?と怖くなることもあるかとは思いますが、そういう時も、「よし、どこまで落ちていけるのか、見届けてやろうじゃないか」とチャレンジ精神で望めば、ゲーム感覚で楽しめるものかもしれません。

必要のない試練は与えられないし、次にやってくる大きなことのために、今、鍛えられる必要があるんだと考えて、真正面から受けて立つ。

そして、ひとたびアップした時は、その落差が大きいですから、より嬉しく感じられることでしょう。

大事なのは、ダウンした時にこそ、たくさんの学びが得られるということですね。

成功している間は、何やってもうまくいくような気がしてしまって、意外に学べてないこともあります。

ダウンの時って、だから大事です。精神的にも、大いに鍛えられます。

世界とは、とても、いびつなもの。

そんな中で、「きれい」であることを望んでも意味がありません。

だから、「いびつ」な夢を見て、「いびつに」生きれば良いのだと、この頃は思うようになりました。

表面は月のように凸凹でも、遠くから見れば丸く見えたりします。

凸凹があるからこそ、毎日はエキサイティングで、チャレンジングで、それゆえにリウォーディング(報酬がたくさんある感覚)なのでしょう。

Exciting + Challenging + Rewarding!