一年前に胃がんで、転移もしているので、手術もできない状態。1年くらいでしょうか、と担当医に言われていた父が、ちょうど1年後、旅立ちました。
先週の月曜の段階では小康状態で、ひと月はないかもしれないけれど、フライトを延期するほど、すぐでもなさそうだと判断し、水曜の夜、一度、ロサンゼルスに帰ったものの、結果的には、帰国後4日で呼び戻されることになりました。
成田行の昼前後の便には間に合わないタイミングでしたが、夕方の羽田便に空きがあり、日本時間で日付が変わる前に帰り着くができました。
なんだか、その速度感、手軽さ、意外なくらいの近さの感覚に、自分で驚いてしまいました。
もちろんフライトは12時間もかかっていて、腰も背中も首もがたがたで悲鳴をあげていて、翌日、即刻マッサージに行ってほぐさねばならなかったくらいなのですが、でも、「その日の内に帰れる」ってことが、すごいなあとあらためて思います。
国内だって、居場所によっては半日以上かかってしまう場合もありますからね。
こういう時、直行便がある、しかも便の選択が複数あるって大事だなあと思いました。
海外移住に憧れる方も多い中、こういうことって、どうしても覚悟してもしきれないものがあって、最期の時のことを皆、とても気にしているんですね。
アメリカでも、ハワイやロサンゼルスだと、多数の直行便が飛んでいるし、羽田便の登場で、夜に出発するバラエティが増えたので、より、こういうことが楽になっています。有難いことだなと痛感した次第。
トップの写真は、若き父と、その膝に座る私です。
今回、通夜、葬儀の時にお客様にご覧いただくアルバムを整理する必要があって、押入れからごそごそと古い写真を引っ張りだしては、小一時間、埃やビニールのカバーのベタつきを拭きながら、あれこれ眺めておりました。
ほとんどセピアに近い色に褪せた白黒の写真。
そこに写る家族の姿は、無邪気で、幸せそうで、安心感を誘います。50年後に、息子はロサンゼルスにいて、なんだかわけの分からない仕事をしてるなんてこと、想像もしなかっただろうに。
でも、そんなことはどうでも良いほど、両親から無条件に愛してもらっていたことを示す数々の写真を久しぶりに眺めて、あらためて感慨にふけりました。
下は、まだ生まれて間もない妹と戯れる、3歳~4歳の自分。
可愛くないですか? と、自画自賛(笑)。
セーター姿が冬っぽいから、4月生まれの妹も、もう8~10カ月くらいになっている頃なのかな。
今回、父の希望で「家族葬で」と言われていたので、何となく自分たちだけでやるのかな、と思っていたのですが、父方の家族はもう皆、亡くなっていたり、あまりにも遠くにいたりで参列できなかったものの、母方の親戚が述べ14名くらい集まってくださいました。
母は10人兄妹の下から3番目。上の方の兄妹はもう他界していたりするのですが、その息子や娘、つまり甥や姪は、彼女にとっては、ほぼ兄妹に近いような歳の近さ。
彼らの子どもは、僕らとほぼ兄妹に近い歳の近さです。
我々も、誰が叔父で、叔母で、従兄弟なのか、良くわからないくらいに、親戚が山ほどいて、歳も入り乱れて、実はものすごい「大家族」なのでした。
家族葬の家族の定義が、ちょっと間違っていたようです(笑)。
何となく、自分のイメージとはかけ離れている気がして仕方ないのですが、昔から、親戚の集まり、というと、強烈なキャラの叔父、叔母、従兄弟たちファミリーが勢揃いして、お酒も入って、たいへんな騒ぎになりました。
なぜか皆、声がでかいし。千葉市の便利なエリアだったりするのですが、記憶の中の光景は、とっても田舎です。今、住んでいるところから車ですぐなのですが、時代なんでしょうね。
中学の頃までは、本当によく会ったし、遊んでもらったし、集まる機会も多かったなあと懐かしく思い出しました。
「オールスター勢揃いだね」と妹や歳の近い従兄弟とも笑ったほど、通夜に来てくださったのは、母方の強烈なキャラの面々です。皆、比較的、近くにいるので、集まりやすいのだとは思いますが、冠婚葬祭、絶対に忘れない義理堅い、素敵な皆さんです。
それに対して、とっても不義理な自分。どこで、どう間違った育ち方をしてしまったのでしょう。
もう何十年もこういう場に顔を出せずにいた自分に会えたことを手放しで喜んで、「お前のお父さんが会わせてくれたんだぞぉ」と感謝する叔父さんの言葉に、ぐっと詰まるものがありました。
家族葬、という言葉をあえて乗り越えて来てくださったのが、父が生前、親しくしていたご近所様です。
父は、なぜだかコミュニティ活動が大好きで、役員とかを引き受けるのも大好きでした。正義感なところがあって、政治活動にも長年、積極的に参画していて、そんなこんなで、自治会やら管理組合やら◯◯党の方々まで、ぜひ、と来てくださったのでした。
会社で働いている方々や、リタイア間もなくの方のお葬式となると、会社や取引先の方々がいらして、ビジネス色も出るのでしょう。会社でどういう立場を務めたか、というところでも、違うのかもしれません。
まあでも、仕事を離れて20年以上経ってのお葬式となると、結局のところ、血族とコミュニティのつながりなのだな、と悟りました。
血族にしても、きちんと日頃から面倒を見たり、様子を気にしたり、近況を知らせたり、という努力をしていなければ、住む場所が離れるとアッという間に疎遠になっていくこともあります。
コミュニティも、ただ住んでいれば、回りの人が葬式に来てくれるわけではなく、何かに「貢献」をしたからこそ、せめてお見送りを…と言って来てくださるわけですよね。
となると、やっぱり、最期の瞬間に見えるのは、自分が「どう生きたか」ということでしょう。
ライフコーチのセッションで必ずする質問の中に、「死の瞬間にどのような葬式にしたいか、誰に参列してもらい、どんなことを言われたいか」を想像してください、というものがあります。
これは、『7つの習慣』にある有名な一節を拝借したものです。
どう生きるかは、どう死ぬか、と、とても密接に関連しています。
だからこそ、逆算思考で、どんな終わり方をしたいから、どう生きるべきか、と考えることで、自分の使命や、果たすべき役割や、大切にすべき人々が見えてくるのだというのです。
「次に、皆を招集するのは誰かな、俺か?」と叔父さんが言って、皆を笑わせていましたが、皆、そういう年代に差し掛かり、いろいろと意識をしていることでしょう。
自分も、あらためて、血族とのつながりや、コミュニティとの関わり、友人との深い絆などについて、想っています。