外から見ることで、客観的で立体的な情報が手に入り、しかも多様な価値観に照らし合わせて分析ができること、というのは良くあるものです。
日本を離れて住むようになってから、日本を見て、面白い考え方をする国だったのだなあ、独特な行動パターンを持つ国だったのだなあ、と感じることが多かったのですが、今回の新国立競技場の建設なども、まさに、という例かもしれません。
今回は、日本のメディアも国民も、皆、止めた方が良い、と分かっているのに、なぜか計画は変更されないし、止まらない。関係者一同、責任者が誰かも知らない。どうでも良いことならばいいのですが、2500億円とかいう莫大なお金がかかり、しかもそれは、何だかわからない理由で増えてしまった結果。
当初に決められた予算枠からも大きく外れているし、競技場としてのリーズナブル(妥当)な費用ですらなくなっている、というのに、するっと認可されてしまう…。
「今から変えたら、間に合わなくなるから、金がかかってもやらざるを得ない」という強迫観念で、身動きできなくなっていたりします。
確かに、計画は、始めるよりも、変えたり、止めたりすることの方が、はるかにたいへんだったりしますよね。
一言で言うと、リーダー不在。私が責任者です、私の責任の元に、これはやります、止めます、と権限と裁量と善悪の基準を持って、集団を率いていく存在がいない。それを決めてから、プロジェクトを始めない。人の顔色を見て、何となくの合議制で進んでいく。団体の姿は見えても、個人の顔は見えない。
右へならえ、で良かった時代はとうに終わり、常に新しいもの、新しい概念、未来的思考が必要とされる時代に我々はいるわけで、そういう中では、リーダーの資質がすべてを左右するんですよね。
資質を問おうにも、いない、のでは、話にならないですが、失敗するとこっぴどく叩かれてしまう環境だと、リスクが大きすぎて、責任を負わない方が得だという考え方にどうしても傾いていくのかもしれません。
英語の世界で評価されることに、自分の発言や行動に対して、責任と覚悟を持っていることがありますが、それについて「Own」という表現を用いることがあります。
所有している、という意味の単語ですが、卑怯な逃げ道を自ら断ち、全面的に責任を負うことを表明する。間違った発言や行動をした時も、自らの過ちを認め、説明責任を果たす。そういった意味合いです。
あの人は、自分の行動や発言をOwn している、とみなされることは、イコール「潔い、覚悟ができてる」と評価されて、例え失敗したとしても、セカンドチャンスをもらえたり。そんな事例は、アメリカで、という注釈つきですが。いくつも見てきたように思います。
自己啓発の世界でも、自分の人生をOwn しろ、ということを言います。
他の誰の人生でもないのだから、日々の時間の使い方、お金の使い方、未来の行き先、それぞれを、「人のものさしで決めるな」ということでもあると思います。
逃げない、人のせいにしない、覚悟を持って、自分で切り開いていく。そこに、全面的な責任を持つ。
その覚悟こそが、人をグンと成長させるし、本物の学びのための条件なのではないでしょうか。
経営者時代のことで、やっぱりあの時、自分は逃げていたなあと後から反省することは山ほどあって、気づく度に汗をかき、激しく落ち込むわけですが、その最たるものは、ハワイ時代に「累積赤字の額をあまり減らせなかった」ことや「親会社への借金を返しきれなかった」ことです。
あの時、自分はやっぱり、自分が作ったわけでもない(というのが、そもそも的はずれな言い訳なのですが)借金の返済について、責任を取りたくなかったのです。必死に返そうと努力すれば、日々の行動は絶対に違ったし、成果も変わっていったと思います。何しろ10年もやってたんですからね。
でも、そこに注念することは、逆に「責任を認めてしまう」ことのようにも思えて、どうしても反発してしまう心がありました。
社長を引き継いだ時から、すでにあった。あるいは、引き継いだ負の遺産(人や、すぐには変えられないお金を使わざるを得ないもろもろのこと)のせいで積み上がった借金であり、結果としての累積赤字であり、自分が作ったんじゃないもん、という逃げが、いつもありました。
あの時、重い責任を引き受けたのと同様に、過去の負の遺産もすべてちゃんと「引き受けて」「覚悟を決めて」いたとしたら、自分はもっと成長する機会に恵まれただろうし、やり残し感などなく、次に進めたのではないだろうか、と後から思います。
というか、やりながらも、どこかに感じていたんですけどね。そこに目を向けるのは、違う、と否定したくなっている自分がいたのでしょう。
これから、どんなことが未来に待ち受けていようとも、それは自分が自分の手で選んで切り開いていったことの結果だから、それは全責任を負わざるをえないものです。
そして、そのことで、自分はさらに成長していけるのだと信じる他、ありません。
人のせい、周りのせい、環境のせい、社会のせい。外部要因にすがっている以上、本当の自立はないし、本当の相互依存もできません。だから、常に内部要因思考でいかないと。
「Own」 するということは、究極の内部要因思考なのかもしれませんね。
国立競技場とは直接関係のないことかもしれませんが、人の振り見て我が振り直せで、今一度、自戒の念を深めたいと思いました。