大人の世界でも、マスメディアや個人メディア、あるいは身近な人達を含む集団からの「炎上」的非難が原因で死を選ぶ人がいます。それを見て、「最後まで責任を全うしなかった」と責める見方もあるようで、正直、驚いてしまいます。
自殺という行為を正当化するのとは違う次元で、いつまで続くかわからない拷問のような袋叩きに、自ら線引きをしたくなる気持ちは共感可能です。
大好きなブロガーのちきりんさんも、ツイッターで下記のように発言しています。彼女も直近では、富岡製糸場関連のことでネットの世界から叩かれていました。その時に書いたのが、下でリンクされているエントリです。いじめの構造について、実感されたのだと思います。
このエントリに書いたように→ http://t.co/bThtq7GHlJ いじめる側には2種類の人がいるんです。主導する人と、みんながやってるからやる人。前者は精神的な快楽を得るために、いじめを仕掛けてる。(相手の気持ちはわかってる)、 後者は「なにも考えてない」
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2014, 8月 7
いじめに「みんなやってるから」で参加する人は、「僕が投げたのは小石一個だけだよ」とか思ってる。でも、被害者には10万人から10万個の小石が投げつけられてる。「ちょっと悪口言ったら、すぐにブロックされた」とか言ってる人も同じ。相手の立場を想像する力が無い。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2014, 8月 7
堀江貴文さんも、かつては叩かれまくった経験があり、その時のことを思い出してか、今回の一件についてツイッターで発言して話題となっていました。
単に世間から袋叩きにあってる状態から逃げたいだけだと思いますよ。私は自殺しないけど普通の人ならしてもおかしくない状態におかれたことあるのでよくわかる。 RT @ShinyaMatsuura: 自殺して逃げたいぐらいのことをなにかしらやらかしていたと、世間から思われてしまうのだが
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2014, 8月 5
あの袋叩き状態は経験してみないとわからない。自分は悪くない、あるいは意図して悪い事をしようと思ったわけではない、潔白なら後ろ指さされるような事してないなら自殺なんかしないって思ってる人は甘いよね。
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2014, 8月 5
集団での袋叩きのような報道やゴシップ、便乗非難や中傷は、大人社会のイジメです。ちきりんさんが言うように、大人が堂々とやってしまっているのだから、子どもの世界でなくならないのも当たり前。
今朝になって、プロブロガーのイケダハヤト氏が、貴重な情報をアップしていました。自殺に関して、WHOが提唱するメディア向けのガイドラインというものが存在するのだそうです。
今や、どんな個人でもメディアになりえる時代。いや、選択の有無なく、ソーシャルメディアを通じて、大なり小なり、複数の人間に影響を持ってしまう時代。このようなガイドラインは決して従来の意味のマスメディアだけのものであって良いわけはありませんね。
我々は皆、自殺に関することをコンテンツにしようという欲望と戦わないといけないのだ、というメッセージを紹介されています。貴重な情報でした。