28歳への誕生日メッセージ。苦労が苦労でなくなる瞬間のこととか

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数少ない20代のクライアントさんのひとりが、先日、誕生日を迎えました。27歳の終盤で知り合った彼女の、28歳の誕生日。

フェイスブックのおかげで、誕生日というものがより身近になり、毎日、今日は誰にとっての特別な日なのだろうと思いを巡らすことができるようになりました。誕生カードを贈ったり、メールでわざわざメッセージを届けるには、ちょっと関係が薄かったり、遠かったりして、普通ならしないな、と思うような場合でも、フェイスブックの上では簡単に書くことができます。

たいして書き足すことがない時は、誕生日おめでとう、だけでも思いは伝わっていく。ふわっとした温かい思いを、ふわっとしなやかに届けることができるのは、ありがたいことだなと思います。とくに、誕生日に対して何の感慨も持てない自分のような元旦生まれの場合、人がその日に抱く特別な思いを推し量るのは、なかなか難しいもので。こういう簡単ツールが、とても便利。

ただ、クライアントだし、いろいろと心の内面まで見せながらのセッションを積み重ねてきたことで、より理解をしているつもりの28歳の彼女に対して、それなりに意味のあるメッセージを贈ってあげたいタイミングで、簡単な場だからこそ深刻すぎずに受け止められる言葉を、つらつらと書いていました。

以下が、そのメッセージ。

「お誕生日おめでとう~! 

自分は28歳で転職して、帯状疱疹とか出るくらいのストレスを溜めつつ(笑)、

泣く泣く千葉の実家に戻って、大きな借金を何とか返し始めて、

でも英会話学校だけは辞めたくなくて続けて、新しい恋人と出会い、

楽しい仕事仲間にも出会い、バブルのまっただ中で、

人生が少しずつ明るく開いていった時期でした。

でも、いつも暗闇を手探りで歩いてて、壁にぶち当たってばかりだったな。

でも、思えば、回りも皆もそうだった。いろんなことに体当りして、文句を言って、

喧嘩して、傷ついて。でも、そんなことを忘れて、酔っ払って歌いながら大笑いして。

きっと高速道路を真っ直ぐに迷わずに進む人生などないのです。

大事なのは「今が幸せ」ということに気づくことなんだね。

朝起きた時に、今日も幸せだ、良い一日が始まる~と思えること。

いや、思うこと。

毎日の終わりに、起きたことすべてに感謝をする習慣を身につけることで、

幸せに気づきやすくなるようでした。

それを知るのは、その時点から20年も経った後のことだったのだけど…(涙笑)。

(後略)」

最後には、個人的な内容が続いたので、省略。その後、彼女とは何度かメッセージの行き来があって、さらに意図を広げて話すことができました。誕生日だからこそ染みていく言葉もあるはずなので、セッションとは違う機会のカスタマーサービス、というか(笑)、頑張って体当たりを続ける若い人への、格好の応援の機会なのでした。

皆さんの28歳は、どんな時だったでしょうか。自分にとっては、いろいろと転機になった時なので、たまたま色濃く覚えています。帯状疱疹って、完全に神経性のものですよね。本当に、苦手なことをメインの仕事にしてしまい、慣れるまでの半年、一年が、とにかく一苦労でした。でも無理は続いたようで、その後、大きな病気となって現れてしまうのですが。

そんな話をすると、20代や30代はつい「え、上野さんにもそんなことがあったんですか」と驚いてしまうようなのですが、皆、人のことはそうやってよく見えるものなんだな、と、その度に認識を新たにしています。

ああいう時代があったからこそ、今がある。

そういう風に思えるようになったから、過去の全ては愛おしく、意味があるものになっていったのだと思います。

ということと、もう一度、繰り返したいか、という問いへの答えは、まったく別物で(笑)、もう、しなくても良い苦労はしたくないなあ、と思い切り逃げ腰になってしまいます。するべき苦労と、しなくても良い苦労とが、その瞬間に見極められたらいいのにな。

なかなかそれはいつまで経っても高度なスキルが必要なようで、上手にできるようにはなっていません。

きっと、一番簡単なのは、「すべてを楽しんでしまうこと」。

そうすれば、中和されて、苦労が苦労でなくなってしまうからです。

それが歳を重ねることで培ってきた学びのひとつなのでしょう。どんなことが起こっても、巡ってきても、「ほう、次はこう来たか。よし、こう返したろか」とゲーム感覚で楽しめれば、ものごとの見え方も大きく変わっていくようです。

※写真は、全然、関係ないのですが、昨年の今頃、ポートランドに行く直前で、ワクワクしてたな、ってことを思い出し、ポートランドで自転車を電車に積んで、少しだけ遠出をした時の嬉しそうな写真を貼ってみました。