不機嫌な人って、近寄りたくないですよね。暗い顔したり、人に当たったり。
社会の迷惑です。
斉藤一人さんは、上機嫌(=上気元と書かれますが)こそが人間の器である、とおっしゃっていて、なるほどなあと、深く納得します。
時に、こんな会話を聞いたり、見たりします。
「朝、なんだか気分が悪かったんだけど、道路がすごく空いていたので気分が良くなった。」
「もやもやしてたのに、山に架かる虹を見たら、すっきりした。」
さて、ところで「気分」って何でしょう。
体調? あるいは体調に左右される感情?
ブリタニカ百科事典には、こう書かれているようです。
全般的な身体組織の機能に依存する比較的軽度の感情状態。健康状態と密接に関連するが,快ないし不快なさまざまな心理的原因によっても大きく影響される。気分は体験全般に対して感情的色彩を付与する傾向をもち,種々の情動の生起およびその強度は気分のいかんによって大きく左右される。
世界大百科事典によると、こう定義されています。
英語のmood,ドイツ語のStimmung,フランス語のhumeurに相当する言葉。一般に心身についての微弱で持続的な感情をいう。類義語として情趣,情調などがある。ヤスパースによれば〈長く続く感情状態のときの気持,内的状態で,それが長く続くとき精神生活全体に特別の色彩を添えるもの〉とされ,K.シュナイダーによれば〈経過の長い,必ずしも常に反応性ではない感情状態〉である。また個人に特有な恒常的感情は基本気分といわれる。
大辞林はこうです。
1.その時々の漠然とした心・気持ちの状態。 「 -をこわされる」 「遊びに行く-になれない」
2.からだの生理的な状態に応じて起こる,快・不快などの心の状態。気持ち。 「乗り物酔いで-が悪くなる」
3.その物事に対してだれもがもつ,特有の心の状態。 「お祭り-」 「新婚-」
4.〔孔子家語 執轡〕 気質。気性。 「 -のよい男」
5.〘心〙 からだの生理的な状態と密接な関係をもつ,比較的弱く長時間持続する感情の状態。
なんだか分かったような、分からないような、とっても漠然とした「気分」になりませんか?(笑)
私にはどうもこの定義、ピンときません。結局、実体がないフワフワっとしたものなんですよね。
面白いのは、英語にも、フランス語にも、ドイツ語にも、これに相当する言葉があるんだな、ということ。万国共通なんですね。
気分とは実体のない感情的なものであり、快、不快に密接に関連していることは、なんとなく見て取れます。
感情は、今、意識の中にある「ある考え」によって呼び起こされるものです。これは条件反射のようなプログラムに基づくもので、記憶と結びついているんですね。
皆さんも実験してみれば、いくつもの感情を、簡単に呼び起こすことができるのがわかると思います。
Q. 最近、起こった、嬉しいことを思い返してみてください。
Q. では、最近、身に降りかかった、嫌なことを思い返してみてください。
Q. これが起こったら困るなあ、嫌だなあ、怖いなあ、と思うことを想像してみてください。
Q. こんなことが現実になったらいいなあ、と夢のように思っていることをリアルに想像してみてください。
Q. 大好きな人の顔や声を思い出してみましょう。
コツは、いかにリアルに想像できるか、という空想力。
それさえつかんで、上記の質問通りに記憶を辿ってイマジネーションを働かせれば、感情さえも自在に操れることが体感できるのではないでしょうか。
簡略化すると、気分=ある一定の時間、漂い続ける感情のようなものですかね。
あるポジティブな感情が心を支配している状態の時には、快の気分のスイッチが入り、ネガティブな感情が支配している時は、不快のスイッチが入る。
それだけのこと。
私は今、とても短い期間でやらねばならないことがいくつかありまして、そのことを考えると、ひじょうに不快な気分になります。
理由のひとつは、「難易度が高くて、望んでいるような結果が出せるかどうかが分からない」ことによって、不安である、ということ。
もうひとつは、あまりにも量が多いために、限られた期間でやろうとすると、いろいろなことを犠牲にしなくてはならないし、高い集中力を長時間、要求されるので、辛そうである、ということ。
いずれも、今、目の前に起こっていることとは別な、自分の中の「考え」「想像」「空想」「予測」が引き起こす、架空の感情です。
そんな時、頭を切り替えて、今日の晩御飯のことを考えます。
友人と約束して、とても評判の良いイタリアン・レストランに行くのです。少しだけ皆で華やかな服装に身を包み、シャンパンを傾け、楽しい会話に夢中になりながら、絶品料理をいただきます。
その光景を想像すると、気分がワクワクしてきます。
あれ、さっきまで憂鬱だったのに、今はワクワク。
不思議です。こんなに簡単に「気分は変わる」ものなのですね。
何が言いたいのかというと、気分や感情や機嫌なんてものは、すべて実体の無いものであり、常に「自分で選べるものなのだ」ということです。
選べるものなのにもかかわらず、それをせずに、人に迷惑かけちゃうのって、器が小せえよ、と、斎藤一人さんは仰りたいのですね。
人のことまで考えて気分をコントロールできるようになったら、それは本当に一流への道を一歩、近づけたということなのかもしれません。
その前に、まずは自分ですね。
自分が「不快」でいたくないですよね? 誰でもそうですよね。だったら、楽しいことを考えてみましょう。そうすれば、気分はすぐに良くなります。
心配ごとは頭の中から押しのけて、楽しいことだけで今を満たす。
気分は、コントロール不能なものではない、ということ。
心の表層に何を浮かべるかで、即座に変えてしまえるものだということ。
それが習得できると、毎日はとても楽になります。
なんかモヤっとするなあと思ったら、心の池に何が浮かんでいるか、探りの手を入れてみましょう。
あ、旦那が出掛けに言った言葉がおもしろくなかったんだ、とか、銀行の残高が少し少なくなってるんでお金のことが心配になったんだ、とか、気分の元になったできごとと共に、その
できごとが引き起こした感情が見つかります。
後は、考えることを変えるだけです。