「貧すれば鈍する」という言葉の正確な意味を調べようと検索してみたのですが、意外にサイトによって言うことが違います(笑)。
大辞林の定義は「貧乏すると,世俗的な苦労が多いので,才知がにぶったり,品性が下落したりする。」
大辞泉の定義は「貧乏すると、生活の苦しさのために精神の働きまで愚鈍になる。」
微妙に意味合いが違っていて、面白いものです。
僕の中ではこの言葉は、結構深い意味合いを持っていて、いつも「例えお金がなくなっても、こうなってはいけないぞ」と言い聞かせていたりします。
ほしいものが、今持っているお金では買えない、と分かるのは、とても苦しいですよね。
やりたいことがあるのに、お金がなくて諦めなくてはいけないのも悲しいことです。
そこで何とか頑張って経済的に豊かになろうと努力する人もいれば、逆に諦める方向にベクトルを働かせて、「そんなの別に欲しくないもん」と欲望の発生を抑えていく場合もあります。
最初から願うこともしなければ、手に入らなことで失意を覚えることもなく、傷つくこともなく、持っている人を羨むこともありません。
とても便利な「防御本能」なのかな、と思います。
物質面でさんざん贅沢をしたり、やりたいことを十分にし尽くした上で、「心の充足」に行き着いて、贅沢の価値観が変わったのならば、それはまた意味合いが違います。
貧したから、じゃなくて、買えるけど買わない、というのは本当の「贅沢」なのかもしれません。
しかし、もともと何もないのに、「自分には手の届かないもの」と諦め続けていると、それこそ「貧すれば鈍する」の状態になり、「ほしい!」という健全な欲望そのものが衰えてしまいます。
実は、我々は子供の頃から育てられた環境の中で、多かれ少なかれ、そういう状態にあるようです。
セミナーやセッションで、お金も時間も制限がなかったら、何を買いますか? 何をしますか?と質問し、100個ほど書いていただくのですが、ほとんどの方が2−30個までしか書くことができません。
ほしいもののことなど考えていないので、見つからないんですね。
夢でいいんだよ、妄想なんだよ、といくら言っても、出ないものは出ない。
「夢を見るスキル」が衰えてしまっているのです。
そう、それこそが、貧すれば鈍するの、本来の意味なのではないかと私は思います。
でも、「思いは現実になる」が宇宙の法則だと偉人は口をそろえて言うのです。
思ったこと、願ったことが、現実になる。
だから何を願うかがとても大切なんだよ、と。
こうしたい! こうなりたい!という夢や野望も抱かない人に、わざわざチャンスを与えてあげるほど宇宙も暇じゃないので(笑)、自然と手に入るものも少なくなってしまいます。
心のフタを取り払って、自分と深い対話をしながら、願うべきことを願うのは重要です。
自分にはもっと可能性があり、諦めずに挑戦すれば、より大きな自分になれる、成長できる、と信じてチャレンジを続けましょう。
そして、「夢を見るスキル」=「夢力(ゆめぢから)」をグングン鍛えていきましょう~!