年末にクライアントの親御さんが急逝したり、
年をまたいで親の介護にいそしむ方の暮らしぶりをうかがったり。
時期に関係なく、人っは病いに伏し、命を落としたりするものですね。
思わず、2015年の夏に亡くなった父のことを思い出しますが、
そういえば、19日は彼の誕生日でした。
生きていたら、86歳の様子。
ってことは、ひとつ年下の母親は、来月で85歳だ〜、と
ググっていて知りました。
昭和から年齢を計算するのは、なかなか難しく(苦笑)。
父の通夜には、近所に住む母親の兄弟姉妹が集い、
彼らの息子や娘や、そのまた息子や娘が来てくれて、
家族葬、という割にはにぎやかな通夜となりました。
「こういうときに子供にも見せておかなきゃ」
という声も聞かれました。
昔は、お爺ちゃん、お婆ちゃんが家で亡くなったり、
結構、身近に死やお葬式はあったのかもしれません。
でも今は、寿命も伸び、別々に住む核家族化も進み、
お葬式を見ることも、参列することも、なかなかなかったり。
参列している自分も70代、80代だったりするし、
こりゃ、良い機会だから(うちの父の葬儀ですが・苦笑)
子どもらに、どんなものか、ちゃんと見せておかなきゃ。
そんな感じで、いとこやいとこの子どもたちも
無理やりのように、連れてこられていましたね。
もう20年も30年も会ってなかった人たちばかりで、
昔はよくお祭りで集まったものですが、
核となった方が亡くなったりすると、そんな風習すらも遠のいて、
会うのは誰かの葬式でだけ、みたいなことになるようです。
それはそれで、故人も喜んでくれるに違いない、と私は思いました。
人の死が、こうやってまた人と人とを引き合わせて、
関係性をリフレッシュし、再開させてくれたりもする。
家族や親類たちが結びつくきっかけを作ってくれる。
友の突然の死のときもそうだったけれど、
父のときもまた、そう感じました。
実は私は、なんだか大家族の輪の中で育っていたのですが、
そのことの温かさや、とても可愛がってもらった子供時代を、
鮮明に思い出させてくれました。
これは2014年夏の記事。
↓
これから2カ月くらいして、
父も手遅れの胃がんと診断されたのでした。