かっこ悪い自分に慣れよう。そして打たれても何度でも立ち上がろう

これはあくまで私のパーソナルな話かもしれませんが、

なんか前に進まねばいけないのに、うまく足が動かない、ってときは、

つい、「カッコつけてる」気がします。

意図した通りにいかなかったらどうしよう。

誰も反応してくれなかったらどうしよう。

公開の場で批判されたらどうしよう。

そんなことが気になって、足がすくんでいる状態。

誰も何も期待してないんだけれど(苦笑)

自分が自分に期待しすぎてて、失敗が怖いんですね。

よく、きれいな表現で、

プライドが邪魔する、とか言いますが、

自分や世間の評価を下回るのが怖い、

だから、やらない。

やらなければ、失敗もない。

でも、それじゃ、どこにも進めない。

未完了なことがどんどん貯まる。

無視しても、自分はちゃんと知っている。

だから、そんな自分にガッカリして、エネルギーがどんどん落ちる。

ああ、悪循環、と(笑)。

皆さんも、多少は覚えがあるかもしれません。

そんなとき、どうすれば前に進めるのでしょう?

この対処は人それぞれにやり方があると思います。

私は、一見、逆効果に見えるかもしれないのですが、

過去の失敗を山ほど思い出し、いったん落ち込みまくります(笑)。

あれも失敗したし、これだって途中で放棄した。

非難も浴びたし、いっぱい批判もされたし、人もたくさん離れていった。

書いてて痛いですが(苦笑)、

そうやって記憶を掘り起こして、気分が底を打った後で、

なんとなく明るくなってる自分が不思議とそこにいたりする。

人は永遠に落ちることができないみたいで、

「まあ、それでもちゃんとやってきたじゃん」

「それでも、ついてきてくれてる人たちはいるじゃん」

「それでも、なんとか食ってきたじゃん」

なんて具合に、自身を励ましていたりするのに気づきます。

気分は勝手に上向いて、そうだよね、かっこ悪い自分だけれど、

地べた這いずり回りながらも、泥臭くやってきたよね。

どんなカッコ悪い体験も、時間がちゃんと風化させてくれるし、

カッコ悪い失敗(に見えること)から、たくさん学んで、

次に活かしてきたからこそ、今があるわけで。

とか、自分で勝手に納得させて、よし、やってみるか〜、となるわけです。

カッコ悪い自分は、実は自分が一番、知っている。

その瞬間のガッカリも、恥ずかしさも、痛みも、全部、ちゃんとわかってる。

そんな自分を、無条件で応援してあげえられるのも、やっぱり自分。

転んでも、泣いても、次に期待して激励する。

「きっと、君にはできるよ、大丈夫」

そうやって、優しく傷の手当をしてあげればいいのですよね。

さ、これを再読して、勇気を振り絞ろう〜

試練は乗り越えられるから訪れる。