初めてお話してから1年近く経とうとしているクライアントが言うのです。
「始める前は、割と頻繁にあったはずの、
幽体離脱が、この頃ないんです」
えー、それは困った。
ではなく(笑)、それは良かった、って感じなのですが、
ここで彼女が言っているのは、もちろん身体がふわふわ離れていく、
文字通りの幽体離脱ではありません。
心の幽体離脱。
専門的には「解離性障害」なんて言われるもののこと。
離人感、とか、現実感消失障害とかいう言葉もあったりしますが、
まあ、いつものごとく、名前はどうでもいい(笑)。
(セッションで「解離」が思い出せず、クライアントに教えていただきました・苦笑)
現実が、まるで夢みたいに現実感乏しく感じたり、
自分が関わっている世界なのに、なぜか傍観者みたいに感じたり。
私も、実はこれ、あったんです。
世界と自分との間に、見えない壁が存在していて、
まるで、TVを見ているみたいに「外」から見ている自分がいる。
著しく日常生活に支障をきたすほどのことではなかったので、
ひじょうに軽度のものだったのだと思いますし、
人は皆、どこかで、程度の差こそあれ、このような感覚を経験するものなのかもしれません。
私は、NLPのプラクティショナーになる際に、
先生に、デモでやっていただいたセラピーが思い切り効きました。
それまでも、いろんなことをやってきて、でも、取り除ききれなくて、
最後の最後に、氷のように残った硬い根雪を、
渾身のセッションで溶かしていただきました。
世界から集まった10人の仲間の生徒が見ている前で、
ティッシュ10枚くらいをぐしょぐしょに濡らすほど涙がこぼれ落ち、
根雪がきれいに溶けました。
私が、彼女にそのようなセラピーを行ったわけではないのですが、
この1年、必要にも迫られつつ、たくさんの「初めて」体験をして、
困難にもぶち当たり、打ちのめされ、打ちひしがれ、
心乱れて、泣き、塞ぎ、拗ねて、落ちて…を繰り返している内に、
なんとなく氷がひび割れて、少しずつ溶け出してきた感じでしょうか。
自分を外から見ている感覚がなくなった。
感情が感じられずにいた自分がウソみたいに、
嬉しい、楽しい、哀しい、切ないが、ちゃんと心を揺らしてるのがわかる。
それって、すっごい変化なんですよね。
感情が感じられない、ということを言うクライアントは、他にもいました。
でも、皆、セッションが進む中で、ちゃんと感覚を取り戻していきました。
皆、赤ん坊のときは、きっとそうなんです。
育つ過程で、防御の必要性に迫られたり、塞ぐ理由が生まれたりして、
感情を閉ざしていくのでしょう。
幽体離脱がなくなると、代わりにムクムクと感じられるようになるのが、
「生きてる感」。
感情が感じられるわけなので、決して、楽しい、嬉しいだけではなくて、
怒りや嫉妬や虚しさや悲しみも、一緒に感じられるようになります。
でも、それが、生きているってことですよね。
ロボットじゃなくて,人間だってこと。
感情を否定せず、観察できる余裕が生まれると、
日々の心の起伏でさえも、愛おしいと思えるようになり、
しあわせ感も、感じやすくなっていくようです。
え、なんで?って感じですが、読んでみると意味がわかります。
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「ライフコーチ」を受けると、
人生がちょっと辛くなる