会社勤めをしているアラフォー女性クライアントが、
上司の愚痴や不満を言ったときに、ふと、引っかかることがありました。
愚痴や不満を言うことではなくて、彼女が上司を
「オジサン」と呼んだときのこと。
そのトーンには、ちょっとした揶揄が含まれており
あえて、その言葉を使うことで、軽い嫌悪を表したりもしていたのです。
でも、彼女の言う、そのオジサン。
明らかに私より歳下っぽいんですよね(苦笑)。
そもそも、私より歳上で、まだ会社にいる人って、
どんどん狭いゾーンになってきてるし、
日本には、とくに【役職定年】という悪魔のような年齢差別制度があって、
55歳とか、57歳とかになると、
有無を言わせず、役職を外されて、平社員になっちゃったりする。
30年くらい前までは、定年が55歳だったことの名残りっぽいのですが、
役職だけではなく、給与も管理職手当を取られちゃったりして、
日本の終身雇用の幻想も、楽じゃないね〜って感じですよね。
話はそれましたが、で、クライアントに
「私はもっとオジサンだけどね〜」なんて茶化しながら合いの手入れると、
「え、だって上野さんは全然オジサンじゃないですよ〜」とかフォローアップしてくれる。
慌てて、じゃなくて、指摘されたことが、かえって不思議?
みたいな自然なトーンで言われたりすると、
オジサンってのも、年齢だけを指して言ってることじゃないんだろうなあという気になります。
オジサン、オバサン、と人が言うとき、
とくに、40代、50代になって、人にその言葉を使うときって、
なんかきっと、年齢以上の意味合いが託されているのかもしれないですよね。
かねてより、「セクシーであろう」ということは提唱し続けていますが、
色気というものと関係があるのかもしれません。
自分は、あんまりその言葉を使わないので、よくわかりません。
意図せず、不快を一緒に連れてきてしまったりしますから、
安易に使わないに越したことはないのです、きっと。
「私がオバサンになっても」を歌う50歳の森高千里さんは、
最近、また活動を積極的に再開されてて、YouTubeなどで拝見してますが、
バブル末期に大ファンだった私としては、と〜っても感慨深い。
とてもとてもオバサン、という響きからは程遠い印象ですよね(笑)。
そういうの、きっとひとつの理想なんだと思ったりします。
自分自身をオバサン、と自虐的に呼ぶ方もいるけれど、
肉体の老けの恐怖を、そうやって茶化している気配もして、
素直に笑えなかったり。
そもそも、精神の老けが肉体の変化を凌駕しちゃって、
メンタリティが70歳超えのアラフォー、アラフィフもいる。
結局、こういうことなのかもなあ、と思い出すのが、
サムエル・ウルマンの「青春」という詩です。
↓
人は理想を失う時、初めて老いる。
「青春」とは心の持ちようなのである
自分が言われて嫌な言葉は、人にも使わないこと。
女性は女性で、男性を厳しい目線で見すぎる気もするなあ、と感じることも。
厳しく見定められてきた、という意識の裏返しなのかな。