60歳、70歳、あるいは80歳代とかで、犯罪に手を染めて、人生の終盤を悲しいフェーズにしてしまうのは、あまりにも残念ですよね。
有名大学出て、華々しいキャリアをスタートし、すごい実績あげて、世間からは尊敬されるべき立場となり、悠々自適も夢ではない資産を築いたとしても、大きな何かに巻き込まれるようにして、道を踏み外す方もいる。
何が幸せかなんて、人を羨んでばかりのときにはわからないもの。
決して若い内から成功したから、なにかが約束されるものではない、ということですね。
子役スターのその後、とか、よくアメリカでもやってるのですがいっときスポットライトは浴びたとしても、その後の人生が、あまりにも真っ暗で悲惨、って人もいる。
浮き方が激しかった分、落ち込み方も激しくて、そんなジェットコースターみたいな絶局恐怖マシーンには乗らなくてもいいや、と思えたり。
もちろん、人の心の中など、のぞいて見ることはできませんから、「いえ、それでも今はとても幸せなんです」という方もいるでしょう。
瞬間、瞬間は、本当に「波乗り」みたいに、来る波をどうやって上手に乗りこなそうかに意識を集中させるのが、日常。
起きることの意味なんて、そのときにはわかるわけもないけれど、あとになって、ああ、あれがあったから良かったんだな、そう思えたなら、すべてに感謝できるものかもしれない。
生き急がなくても、大丈夫。
100歳になったとき、ああ、良い人生だったな、と笑顔になれれば、それでいい。
そんな風に、長い長いスパンで考えて、今の足取り危ない波乗りを、アワアワとしながら楽しんでれば、それでいい。
大器晩成の「晩成」って言葉の本来の意味とはちょっと違うかもしれないけれど、本当に大事なのは、そういうことなのかなあ、って思ったりする50代後半=もうすぐ60?です(笑)。
この記事を以前偶然見つけて、勇気づけられました、なんて、昨日のパーティでお声がけいただき、自分でも再読してみましたが、へ~、いつも同じことばっかり書いてるんだな、と別なところで感心したり、マンネリか?とドキッとしたり(笑)。