最近、アメリカでは、というか、世界的なファッションシーンのトレンドなのだと思いますが、いろんな意味でのダイバーシティを繊細に意識して、表現としても取り入れています。
ちょうど届いた有名百貨店のメールを飾るトップ写真でも、人種も、年齢も、そして体型も、実に「いろいろ」。
とくに、体型の面では、エブリデイピープル(普通の人々)が、ありのままで自分を愛せることが素晴らしいのだと訴えるために、「プラスサイズ」のモデルを必ず混ぜたりして、ダイバーシティを訴えるのが、今風です。
トランスジェンダーのモデルを使うのも、新しい流れですね。
ハワイで活躍するクライアントが、ハウィのモールでは、マネキンさえ「プラスサイズ」だと興味深い写真をFacebookにポストしていました。
ちょっとここに拝借。
「自分」がイメージできる人たちがいっぱいいるし、なんか、勇気づけられますよね。
言葉狩り、みたいなポリティカリー・コレクトから抜け出して、地に足着いたダイバーシティが広がってきているなあという実感があります。
なんて光景を日常に見ている世界に住んでいて、こんな日本のニュースを読んだりすると、めまいでクラクラしてしまう…
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生放送のニュース番組で
コメンテーターが激怒
「人権感覚の欠如」
ネット賛否
続報
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性別のわからない常連さんに、どう接していいかわからないので、調べてほしい、みたいな依頼を受けて、TVレポーターが性別確認に突撃。
下の名前聞いたり、胸触ったり、保険証を確認したりして、性別判定をした、という話。
あまりのギャップに、同じ世界を同時期に生きているのかと、夢を見ているような気分にもなるのです。
そもそも、その店では性別で何か対応を変えるのか?と、質問した人の意図もよくわからないのですが、それを、「おもしろおかしく」ネタにして、性別確認を公開の場でするなんて、ここ数年、話題になっているジェンダー問題の本質がまったく見えてなかったんだな、というのが、モロバレで、お見事。
ダイバーシティとは、「人権」のお話なんですよね。
予定調和が当たり前のテレビの生放送で、コメンテーターさんは、よくちゃんと激怒できたなあ、と、その勇気に拍手。
自分にできるだろうか。
激しい「違和感」を咄嗟にクチにすること、怒りとして表現することが、その場で自分にはできただろうか。
そんなことを見つめ直してしまう一件でもありました。
こんなことをネタにして笑うようなテレビ番組、くだらないし、幼稚そのもの。
いじめの構造にもつながること。
早く淘汰されてほしい。
ますます加速する超・高齢化社会に期待されているのは、
社会の成熟度です。
大人の多い国になるんだから、知識も教養も倫理感も繊細さも大人レベルにアップグレードして、世界の見本として尊敬されるような、エシカルリーダーになってほしい。
その過程では、怒りの表現や、混乱や、対立議論が不可欠。
それを経てこそ、意識の書き換えが進んでいくわけですからね。
5年前に、アメリカの多様化について書いた記事がいつの間にやら5000回くらい読まれていました。
家族の話だけれど、常識は常に変わってる、という意味で、ぜひご一読を。
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アメリカの多様化する「家族」のあり方。
男親・女親が揃った家庭は
50年で92%から67%へ激減