自分のことは100倍に、他人のことは100分の1に

隣の芝生は青い。

これって、本当にそう見えるものなんだな、と、はじめて芝生の庭がある家に住んでみて、思います。

なんか自分の庭の芝生は茶色がかっていて、栄養が足りてなさそうで、元気がなさそうで。

ジョギング中に通る人の家の庭が、まぶしいこと、まぶしいこと。

それはまあ、本当に「肥料をまいてない」とか、「芝の種類が違う」とか、いろいろ理由があるようで、

単に「人がよく見える」現象だけではないようですが(笑)。

皆、すごい人ばかりで…

クライアントから、しょっちゅう聞かされてることのひとつに、「皆、すごい人ばかりで…」というものがあります。

Facebok上のクライアントグループに招待をしたときに、他のメンバーを見て必ず出るのが、その言葉。

いや、ひとりひとりが個性あふれる素敵な人たちで、「あなたも」そのおひとりですよ。

って言っても、自分だけは別に見えちゃんですよね。

で、それを「全員」がやる。

他の人は、あなたを見て、「すごい人」って思っていたりするわけです。

皆で皆がすごい、すごいと言い合って、なんか褒め殺し大会みたい、と傍からは、そう見えています(笑)。

滑稽な響き、かもしれませんが、人の真実の一端を示す現象なのだと思います。

どれだけ違うか、が本当の勝負

という現実を知っているので、先日、新しく参加される方には、事前にこう話しました。

「皆、人のことはすごく見えてしまうものらしいので、人は100分の1くらいに見て、自分は100倍にして考えてください」(笑)

そもそも、人はひとりひとりが別物で、比べるべきものでもないのに、なぜ、それをやってしまうのでしょう。

それは、「より良い」を常に基準にしているからかもしれません。

本当は、より良いではなくて、「より違う」を意識して、

人とどれだけ違う自分で生きてきたか、なれてるか、なろうとしているか、に目を向けるべき。

自己紹介の仕方も指導のひとつに置いているのですが、アナタらしさを表現することを学んで、そのままに伝えればいいだけなんですよね。

パンツを脱いで人と付き合え

前に、発信恐怖症について書いた記事があるのですが、これって、自己紹介とか、人付き合い全般にも同じことが言えるのだと思います。

パンツ脱いで、人と付き合う。

っていうと、変に聞こえますが(笑)、心を裸にしちゃえばいいのだよ、ということ。

見えや虚栄心や恥や劣等感を隠そうとするから、怖くなるし、億劫になる。

バカで上等。能天気で大いに結構。悩みなんかなくていいのです。悩んでいたって、いいのです。

LAの若き友人からも、この記事で救われました!と言っていただいたことがあります。

一度パンツを脱いでしまうと楽だった

このパンツ、実は多重構造になっているので、一度脱げばいいというものではないようです。

何度も何度も、薄皮をはがすように、パンツを脱ぎ続けてください。