肩の力を抜いてみると、結果がついてきたりする、ものらしい

なんかもっと肩の力抜いて、楽しめたらいいのにな~。

そんな風に自分について思うこともあれば、クライアントのスタンス見てて思うこともあります。

自分では、なんか、普通にやってるつもり。

いや、これって当たり前でしょう、なんて感じで、疑いもせずにやってることが、実は「やり過ぎだった」ってこと、長くなってきた人生の中で、もう何度も何度も経験しています。

メールが長い時、文章がくどい時、言い方が強い調子になる時、情報を詰め込み過ぎちゃう時。

より良い結果を望む気持ちが強いときほど、そういう傾向がでがちです。

社長時代も、自分がこうだから、人にも求め過ぎちゃって、社員を苦しくさせてしまっていました。

基準値がなんか変なのか、それって「がんばり教」の信者そのものです(涙)。

まだ、足らない。これじゃ認めてもらえない。

いやいや、自分はもっとできる。もっと頑張れる。

追いつき、追い越し、追い抜いて、突き放さなければ…

勝ち負けなんて、どうでも良い世界のことであったとしても、そうしないと安心できずにいたのです。

ありのままの自分なんかじゃ、誰も評価してくれない。必要としてくれない。

だから、もっと、もっと、もっと。そうやって、自分も周りも苦しくさせてしまいました。

何やっても、うまくいっても、楽しくはなかったし、いつまでも「安心」なんてありませんでした。

ようやく肩の力を抜くことを覚えたのが、10年ちょっと前くらいのこと。

力を抜くと、周りがとても楽そうでした。

自分も楽になりました。

周りは自然と伸びていったし、工夫したし、問題なんか、何も起きませんでした。

なーんだ、これで良かったんだ…

楽しくて、楽しくて、自然にのめり込んでいく時は、それほど悪い結果は起きないものですが、不安から、恐怖心から、罪悪感から自分を追い詰めたときほど、がんばりは逆効果に。

承認欲求を満たすために「勝ちたい!」「認められたい!」と空虚な目的意識で望んだときも、ひたすら空回り。

何かで自尊心は満たされたとしても、それは一瞬のこと。

また別な「欠け」を見つけ出しては、虚しい努力をしてしまうのがオチだったりします。

ワクワクすることを、結果を気にせず、焦らずに、ひたすら楽しむこと。

やっぱり、これに尽きるのではないか、そう思う今日この頃。

仕事においても、「楽しむこと」は絶大な効果を発揮しますよね。

好きなことかどうかは、どうでも良いのです。

工夫して、楽しんでやっていると、のめりこんで、どんどん好きになっていったりするものだから。

するといつしか結果がついてきてたりするものだったり。

楽しい人生とは、今が楽しいってことなのだから、気楽に、肩の力を抜いて、夢中になってみるのが正解に見えるのですよね。

お小遣い稼ぎだってそう。

必死に歯を食いしばって辛そうにしてたら、お金が舞い込むわけじゃない。

だったら、プロセスを楽しまなきゃ。