「ゆるいつながり」がしあわせ感アップにつながる理由

こちらのブログでもご紹介したアラサー女子の例でもそうですが、人の悩みの大部分は、「人間関係」に集約される、というのは疑いのないところだと思います。

参照 適応障害? まさか…(笑)

でも、それもすべては考え方で、彼女にしても、「こうでなければ」という強い縛りを押し付けられ、例外が許されない感覚になっていたから、苦しんだんですよね。

もっともっと、人と人との関係をゆるく考えられたら、この人の悩みも、あの人の苦しみも、スーッと楽になるだろうに。

人の目を気にせず、もっともっと自由に、やりたいことにエネルギーを集中させられるだろうに。

そんな風に、クライアントの顔を思い浮かべながら、思います。

親友がいない!と嘆くのはオワコン

好きな人と、好きなときに、ワガママに、身勝手に、甘えながら、甘えられながら、ケンカしながら、離れながら、くっつきながら、

さらっとしたおつきあいができたなら…。

それって、良くないですか?

自分も変わるし、人も変わる。だから「生涯の友」がいること自体、珍しい。

ずっと同じ距離感で、同じ人といられること自体、奇跡。

ソウルメイトがほしい、という言葉を使う人もいるのですが、

「その瞬間、すごく仲が良い」「いて楽しい」「居心地いい」

そういう間柄こそが、素敵じゃありませんか?

孤独死なんて失礼な。ひとりと孤独は違うこと

何も、『私には親友がいない」とか、「一生涯、ずっと一緒にいる友がいない」とか、自分勝手なしあわせ条件をこしらえて、落ち込む原因を増やさなくてもいいですよね(苦笑)。

いちいち気持ちを下げる原因を探しあてる天才、多いんですよね(笑)。

学生時代の頃みたいな濃い友人関係が今はない、ということを言う方もいますが、あのときはあのときで、環境や境遇が皆、似ていて、ある意味「戦友」的な間柄だったわけです。

たまたま近所で育った、幼馴染の延長に過ぎない。会社の元同僚とかも、同じです。

大人になったら大人なりの、多種多様なつきあい、多種多様な「つながり」があっても良いではないですか。

ひとり、と孤独は違います。

孤独死って、それ、亡くなった方に失礼じゃないですか? と私など思うのです。

生前、その方が、孤独だったかどうかは、死に方が決めるわけじゃない。

勝手に名前をあてはめちゃいけませんよね。

だから無闇にひとりを怖がる人が増えるのです。

そんなことを考えさせてくれる良書が、たまたま同時に2冊、発売されています。

人間関係を大げさに考えすぎなくていい

SNSが苦手、交流会が苦手、っていう方の話を聞くと、「関係」やら「つながり」やら「出会い」やらを神経質で大げさに考え過ぎていたりします。

根拠のない不安や心配が潜んでいたり、「自分なんか相手にしてもらえない」的な、自己肯定感の低さが見え隠れするわけですね。

でも、そもそも誰もあなたの存在を、それほど大げさに考えてないので、大丈夫なんです(爆)。

自分が期待をしすぎてるだけ。

自分だって、相手の顔も名前も覚えてないくせに、人にだけ自分を覚えていてほしいなんて、虫が良すぎです(笑)。

人にも自分にも、ほどよい期待だけして、あとはゆるく生きればいい。

それが、しあわせの秘訣だと私は思っています。

上記で紹介した2冊は、この先、人との距離、コミュニティとの距離、あるいは「自分自身」との距離を見直していくのに、最適な書籍です。

ゆるいつながりを広げる上質な場でお会いしましょう

未来志向の大人ばかりの、心地よく、ゆるいつながりをお探しの方に最適な場所が、こちらです。

5月10日「ELB交流会 ~仕事も仕事も多様で自由~」19時30分 @赤羽橋

イベントは、大好評のうちに終了しました!

とにかくいろんな人がいますし、初めての方もたくさんいます。

人の価値観って、こんなにバラバラだし、いろんな人生があるもんだなあ~。

選択って、なんか無限にあるのかもしれないな。年齢なんて、全然関係ないんだな~。

そんなことを実感できる場所。

ゆるいつながりは、そこからどんどん芋づる式に広がっていきます。

だから、終わってからも、ずっと楽しいのです。

SNSは、距離も何も関係なく、無理なくずっとKeep in touchする(近況を教え合う)ことが可能なところが、大発明なんですよね。

前回の模様はこちらで書いていますが、今回も、ハワイから、広島から、京都から、すでに参加の声が上がっています。

5月の日本でも、また新しい方々にお会いできたら嬉しいです。