先日、誕生日を操作することについてエントリを書いた時に、家で発掘した自分の母子手帳を引っ張りだしてきたのですが、それをつくづく眺めていて、思うことがありました。
手帳の表紙を開けると、その裏には、「児童憲章」というものが記されていました。児童憲章とは、Wikipedia によると、こういう背景があって制定された条項のようです。
児童憲章(じどうけんしょう)は、日本国憲法の精神に基づき、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福を図るために定められた児童の権利宣言である。
1951年(昭和26年)5月5日、広く全国各都道府県にわたり、各界を代表する協議員236名が、児童憲章制定会議に参集して、この3つの基本綱領と12条の本文から成る児童憲章を制定した。
他で調べたことを加えて補足すると、1946年に憲法が定められ、それに基づいて1947年に「児童福祉法」が生まれました。その精神を国民に広く知らしめ、浸透させるためにできたのが、この児童憲章なのだそうです。
1948年には実は国連で「世界人権宣言」が採択され、それに則って1959年には「児童権利宣言」というものが制定されたと。
似たような名前で、年号が一部交錯するので、ちょっとだけ混乱しますが、すべては戦後まもなくの動きです。
ちなみに発表されたのは5月5日。こどもの日は1948年に制定されているので、こちらの方が先。児童憲章は、こどもの日だから、5月5日に発効されたということのようにと思われます。その辺の詳しい記述がないので、ここは想像です。
以下は、「児童憲章」の全文です。
昭和二十六年五月五日
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整った教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによって結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。
素晴らしい内容ですね。
これ以前の日本というのは、どういう社会だったのだろう、とふと思います。どうやら英語からの翻訳かなと思うわけですが、アメリカ政府がこういう考え方を日本の社会に持ち込んできたのでしょうか。
(元になった英文や、この頃の子供の人権をめぐる時代背景については、さっくりした検索では見つけられておりません。)
最近の日本のニュースを見ていると、子どもの尊厳や命の存在を根底から無視したような犯罪が多く、目を覆いたくなります。
アメリカにはもっと昔から顕著にあったのかもしれないし、どの社会でも同じかもしれません。
僕の生まれのは、「児童憲章」から11年後。新しく整備された道徳規範によって、人々の意識が整ってきた頃なのでしょうか。
福祉制度もあり、安価な選択も豊富で、たいていの場合は命を脅かすような暮らしをしなくても良いようになった現代だからこそ、今また、このような道徳規範について話し合うことが重要ではないかと思いました。
差別問題なども、すべての人を「人として尊ぶ」ことができてさえいれば、なくなって良いことのように思うわけです。
人として尊ぶという意味は、確かに大きくて、わかりにくいところもあります。幼少の頃から、このトピックスでディスカッションをさせるとかするといいですね。もちろん、ファシリテーターを務める大人の再教育が先決です。