先日書いた「ノンママ」に関する記事は、ロサンゼルス在住のアメブロ公式トップブロガー「さとみるく」さんの記事とシンクロしたことで、思いがけずたくさんの方にご覧いただきました。
参考 「ノンママ白書」アラフィフの多様な生き方。どんな選択も個人の自由
参考 さとみるくのロサンゼルス日記「ゲイとノンママ」 ← なんというタイトル!(笑)
ドラマの質はこの際、置いておくとして、毎回どこかに「チクリ」とするシーンがが挟み込まれていて、その着眼点とかを面白く拝見しています。
でも、部長役の鈴木保奈美さんが「次はやはり男子社員がほしいです」とか堂々と言う場面でドキドキしちゃう、小心者経営者の私です(苦笑)。
日本って、そうやって「女性が女性を」差別したり、ジャッジメントしたりする場面を、ものすごく多く見かけるんですよね。
これはまた別な機会で書きたいことではあります。
さて、そう言えばアメリカはもっとこのことで先に言ってるはずだよなあ、と、何でもオープンに意見を闘わせて2分割する国のことを思い、調べてみたら、やはり、ありました。
「チャイルドフリー」という生き方についての、さまざまな議論や主張が。
このブログは、生き方を考えるためのブログなので、少しこのトピックについてもフォローしておきましょう。
「チャイルドフリー」という選択
正式な場面では、「Voluntary childlessness(自発的な子なし=チャイルドレス)」という表現が使われたりもするようです。
が、自分は単に子どもがいない、というのではなく、そういう生き方を選んだのだという主体的な意味合いを強めて、最近では「Childfree=チャイルドフリー」という表現を使うのが、ポリティカリー・コレクトなようです。
アメリカでは、40~44歳女性の19%がチャイルドフリーな状態にあるとか。
ハフィントン・ポストにもたくさんの関連記事があり、中でもこちらは8月の記事。
この話題、議論は、今まさに語られている新しいトピックであるということです。
参考 「チャイルドフリーの人々があなたに知ってほしい5つのこと」
(5 Things ‘Childfree’ People Want You To Know)
ここで言う5つのこととは、1)簡単に決めたわけではないこと、2)ちゃんと「親」の役割を間近で見た上で「自分向きではない」と判断していること、3)社会的、環境的な問題を真剣に考えると、子を持つことは適切ではないと考えること、4)男性側の決断も手伝っていること、5)親になるという責任を深刻に捉えたこと。
そして、ページトップに掲載した写真は、2013年8月のTIMES誌です。
なんと「The Childfree Life」という特集記事が表紙を飾っています。
チャイルドフリーは、そのくらい盛り上がりのあるトレンドワードなんですね。
中の記事をウエブ版で見ると、とても興味深いです。(英語記事)
チャイルドフリーの大人は決して「身勝手」なのではない
(Childfree Adults Are Not “Selfish”)
子どもは「しあわせ」を運んでくるのか?それとも「悲惨な暮らし」か?
(Do Children Bring Happiness—or Misery?)
「私はただ子どもがほしくないのです」 −− 子どもを持たない選択をすることは、100万のイエスに、たった1つの大きなノーを言うようなこと
(I Just Don’t Want A Child
Deciding not to have a kid is like saying one big no and a million little yeses)
出生率の低下が、大災害を及ぼすことにはならない
(The Declining Birthrate Doesn’t Spell Disaster)
これらのメディアの記事は、「産まない」「持たない」選択をした人たちを理解しようと提唱しているようです。
いろいろなことが、はるかに「進んでいる」感があるアメリカで、今なぜ、このことが新しい議論となっているのか、疑問に思う方もいるかもしれませんが、そこにはいろいろと背景があるかと思います。
背景にある根強い宗教的価値観
私がアメリカに移住したのが1994年8月。
22年前のことですが、その時から、アメリカ国内は、2つのことの議論で、まっぷたつに別れている感がありました。
それは、1)同性間結婚、2)人工中絶の合法化の是非。
1はわかりやすいかもしれませんが、どちらも、敬虔なクリスチャンにとっては許せないことのようで、2の方も、中絶クリニックが反対派に襲われたり、ピケットを持った人々がデモを繰り広げたり。
大統領選挙でも、必ず焦点になるのが、この2点。
何しろ国民が2分されているのですから、Yesと言っても票を失うし、Noと言っても票を失います。
でも基本的に、民主党はYes、共和党はNo、という立場で闘ってきたのが歴史です。
1の同性間結婚はついに連邦政府で合法化されましたが、2はまだ議論の途中で州によって対処が異なります。
子どもは社会の宝ものであり、産めるのに産まないのは、半宗教的である、とするのは、キリスト教だけでなく、ユダヤ教やイスラム教もそうだとWikipediaにはあります。
もちろんこのことは、宗教を超えて、重要な文化的思想として、長い歴史を通じて人々の中に埋め込まれてきた「価値観」であるわけです。
小さな頃から、それが当たり前、と教え込まれて育ってきた人々には、選択の余地のない話だったりもするのでしょう。
スターに対する「なぜ、産まない」批判
アメリカでよく世間からはばかりなく批判されるのが、40歳前後になっても子どもを産もうとしないスターたちです。
キャメロン・ディアズやジェニファー・アニストンなど、何度もゴシップ誌を中心に詮索され、そのたびに反論させられ、繰り返しメディアを賑わせていたりもします。
参考 ジェニファー・アニストン「まだママにならないの?という質問はもううんざり」
(Jennifer Aniston Is Really, Truly Over Questions About Becoming a Mom)
「個人の自由」を尊重するアメリカで、ましてや日本のように少子化が進んでいるわけでもない状況下で、ここまで執拗に子どもを産まないことについて興味本位で語られてしまうと、うんざりでしょう。
「同年代の男性スターには絶対に言わないのに」とジェニファー・アニストンが憤って語った記事もありましたが、例え事情で産めないとしても、養子縁組が比較的容易な国であることも、余計に面倒な状況をうんでしまうのかもしれません。
お金もたっぷりあるし、相手なんて選び放題じゃないか、とか…、そこには少しばかり妬みもあったりするかもしれません。
私のクライアントさんにも、子どもを産んだはいいけれど、「可愛く思えない」ことで悩んで深刻だった、という方がいます。
今も「子どもがいなければ、もっと時間が自由になって夢へと進めるのに…」などと思い巡らしてしまう自分自身に、自己嫌悪してしまう、という本音も聞かれたり。
かと言って後悔しているわけではないのでしょうが、子どもは生むべきもの、子どもは無条件で可愛いはずのもの。
そういう決め込みが、人を追い込んでしまいます。
別なクライアントさんは、「孫の顔を見せてあげられなかったことが、親には申し訳ないですね」と、やむを得ず、そう考えてしまう自分を認めていました。
そこ、私も実はそうなんです。
うちは、妹もチャイルドフリーですから、親にとっては孫がひとりもいません。
「長生きしたってしょうがないわ~」とため息をつく母の顔を思い浮かべつつ、もし頻繁に孫を連れて帰省してあげられたりしたら、彼女の生きる歓びのひとつもプレゼントしてあげられたのだろうか、とか考えてしまうことはあります。
「ノンママ白書」は、9月24日で最終回のようですが、さて、どこに結論を持ってくるのでしょう。
アメリカという特殊な場所で、養子だって可能な私自身も、いつどこで「やっぱりないね」という最終結論を下すのか。
自分ごとながら、同じくらい興味深いです(笑)。