存在感と危機意識の薄い、ゆでガエルの50代です(笑)。
日経ビジネス8月8・15日号の特集「どうした50代!君たちはゆでガエルだ」が話題になっていたので、オンラインで読める分だけ目を通しました。
参考 日経ビジネスオンライン「どうした50代!君たちは『ゆでガエル』だ」
記事中でインタビュー出演している香山リカさん(56歳)の著書「50オトコはなぜ劣化したのか」も興味シンシンだったので、Kindle版を早速ダウンロード。
そうか、自分は劣化していたのか、と初めて教えていただきました。
ここで言われている50代とは、1957年~1966年生まれまでの層で、62年生まれの私も、ど真ん中に入っております。
たとえ見た目はそう見えないとお世辞混じりに言われても、正真正銘、50代。
「ゆでガエル」呼ばわりだけではなく、「劣化」とまで言われてしまう50代男性。
ゆとり世代や、勢いある女性にばかりフォーカスが当たってきた昨今ですが、ここへ来て、ようやく主役に踊りでた感じで、嬉しいですね(笑)。
(と、意味なく喜ぶところが、ゆでガエル?)
なぜ50代オトコが「ゆでガエル」呼ばわりされるのか?
私は基本的に、こういう「社会を俯瞰して見る」系のお話は大好きなんですね。
そもそも大学では、社会学、社会心理学を専攻していたくらいでして、人々の変化とか、社会の価値観の移り変わりとか、ワクワクしてしまうのです。
こういう世代論も、とても好きなジャンル。
「かつて新人類と言われた世代」と香山リカさんの著書では表現されていますが、ああ、確かに言われた~と、懐かしいキャンパスの様子まで思い起こしました。
「モラトリアム」とか「ピーターパン症候群」とも言われました。
今の議論は、ここにつながっているかもしれないですね。
すべてが同時代の話なので、背景から風景から、鮮明にフラッシュバックして、ウェブ記事も本も、興味深く読みました。
今の50代オトコたちは、こんな特徴があるのだそうです。
- 楽観的
- 変革に抗わずに従うばかり
- リーダー不在(政治的な場などで)
- 存在感薄い
- 将来に対する危機感がない
- 男性更年期に悩んでる
- 実は心が折れやすい
- 他者(他世代・社会)への働きかけに消極的
とてつもなく広い層を、ひとつの特徴で語るというのは、なかなか難しいことで、周囲の同世代を見回しても、何一つ共通項としてくくれるキーワードが見つからなかったりします。
とくに海外に出てきちゃったし、そもそも日本で属していたのも広告業界、しかも外資系、という、メインストリームから外れたところで生きてきたせいもあるでしょう。
また、ハワイ、ロサンゼルス時代におつきあいしてきた方々は、経営者が大多数です。
すでに自立して、コミュニティのリーダーとして活躍している方も多いし、自ら発信もして、下の世代に慕われている人もいます。
まだまだ「これから!」って、これから感たっぷりでいる人たちがほとんどで、働くの楽しいし、セミリタイアとか、そういう話すら聞かれない。
もちろん、定年などなく、70歳でも生き生きと働いている先輩たちを、目の前でたくさん見ているからなのだろうとは思います。
アメリカ人のみならず、在住日本人だろうと、「年齢が関係ない」という常識で染まっているコミュニティにいられるのは、ありがたいことだとつくづく感じます。
時代の狭間の世代が60歳になった時
仮に、大学行って、就職したとすると、50代オトコも、だいたい25年~35年くらい、働いてきたことになります。
バブルの時に仕事を覚え、団塊の世代に思い切り叩かれながら成長し、よしこれから、と思ったらバブルが弾け…。
そこからの20年で、仕事や人生に関係する価値観は大いに様変わりしましたよね。
ただ、「会社の価値観」は、どれだけ変わったのか、というと、景気の低迷を切り札にして、企業の論理が通りやすくなった分、より環境がブラック化した部分もあるようです。
と忠誠を問われ、応えてきたのに、いきなりバサッとやられたり、知らない土地へと飛ばされたり。
でもローンはあるし、子どもの教育費は稼がないとならないし。辞めたくても辞められない、という声も、確かに聞かれます。
50代なかばになると、日本の会社では役職定年というのが待っています。
いろんな経験、積んで、これからが本当の貢献かなあという気がするのですが、会社では、お疲れ様でした、と御役目の終了を宣言される。
「もう要らない人」として、烙印を押されるようで、とてもイヤですね。
そもそも、定年、というのが、イヤな制度。
アメリカの雇用法に慣れすぎてしまって、日本がばっさり年齢でいろいろ区切っていくことに、心臓がバクバクするほど違和感、覚えます。
それ、訴えられるよ~ってことが、日本では世の中の「常識」としてまかり通っていたりしますからね。
過去の年齢感覚で決められたアレコレが、本当に実際に合わなくなっているのを感じます。
つられて、勝手に老成した気分になっている50代とか、あと40年も50年も生きるようなことになった時、気持ちがずっと持つんだろうか、と余計な心配をしてしまいます。
定年後、皆、何をするのだろう?
自分は、そもそも定年のない社会に来てしまったし、さらに会社という組織を離れて、自分ひとりで好き勝手なことをしてるので、この先の人生は、一本の軸でズーッとつながっているのですが、今、会社勤めをしている50代オトコの未来って、どんなんだろうと、確かに興味深い問題ですね。
役割を降ろされ、2軍、3軍、あるいは3軍の補欠、みたいな感じの立場で、すっかり下がった報酬をもらいつつ粛々と働き続けるには、今の50代、60代は、あまりにも若く、元気過ぎではないでしょうか。
確かに、日本で会社で働いている同世代と会話すると、少し「終末期」の匂いが漂ってきます。
会社人生の終わりは、人生の終わり?
そうではないはずですが、その後の明るいビジョンがあまり語られることはなく、なんとか定年までしっかり務め上げる、ということが、とりあえずのミッションになっている印象を受けることも。
未来について話すのは、恥ずかしいことなのでしょうか。
ずっと働いてきたとは言っても、たかが30年。
人生80~100年と、寿命もずいぶんと長く伸びてきちゃいましたし、これからも医療は進歩するので、なかなか死なせてはいただけません。
60歳で定年しても、一生の終わりまで、まだ20~40年の期間が残っていたりしますよね。
その長い長い時間を、皆、どうするんだろう…?
そろそろ未来のビジョンづくりを
「楽天的、危機感がない ⇒ ゆでガエル」
とか言われつつも、きっと皆、心の中ではいろいろと考えているんですよね?
それを表現しないで隠してるだけで…。
と、思いたいのですが、そんな風に思えない出来事もあったりします。
ライフプランを作ることを提唱するセミナーに、50代の方がいらっしゃったりすると、時折、こんな風に感想をくださることがあるんです。
「いやあ、こういう良い話、息子(娘)に聞かせたかったですねえ~」
もちろん、それはありがたいお言葉なのですが、で、ところで「あなた自身のライフプランは?」というと、何もないのです。
「いやいや、私なんて今から考えても遅いですし…」
真面目にそう言って、自分にはもう必要ない、と疑いもしない方もいます。
ハワイでも、ロサンゼルスでも、日本でも、そういう方はいますが、やはり比率としては、圧倒的に日本の方が、そういう反応が来ることが多いですし、そういう反応を寄せる方の年齢が、はるかに若いですね。
今までなんとかなったから、今後もなんとかなるでしょう、という感覚なのだとしたら、それこそ本物の「ゆでガエル」(笑)。
時代の変化、環境の変化は、きっちり見たうえで、手を打てるだけ打って、万全を尽くしたうえで、キリギリスのように遊ぶのが賢い選択かなあ、と。
老後、とか、リタイア、とかいう古い言葉に縛られず、一生現役、一生貢献、ということを念頭に、古いOSを洗い流して、Windows10にアップグレードすべき時期。
マシンそのものが古くなってガタついている可能性も高いので、心身共に、長期間、健康が保てるように、一度、徹底したリファービッシュ(中古品の再生)も必要ですね。
その後は、定期メンテナンスで、錆びない、古びない、いつでも「Current(今の仕様)」を保ったままの自分でい続けること。
で、そんな「新しい」自分として、何をやるのか、何を残すのか、です。
もう一度、新しい人生を生きる覚悟をするくらいで、ちょうどいい気がします。
ライフプランについては、無料の小冊子でもお話しているので、参照ください。