自暴自棄とは何か? なぜそのような状態に陥るのか?
毎月(あるいは月に2回)、定点観測のようにクライアントさんとお話をしていると、人間、誰しも好調、不調の波があることがわかります。
うまくいかないことが続いて落ち込んだり、目標を見失って日々に意味を見いだせなくなったり、あるいは予期せぬ事態に翻弄されて、心が激しく乱れ、自暴自棄になったり。
「自暴自棄」というのは、よく耳にする言葉ではありますが、正確にはどんな意味なのでしょう。
自暴自棄 意味
- 希望を失い、自分などどうなってもいいとやけくそになること。失望などのために投げやりな行動をして、自分を駄目にすること。また、そのさま。▽「自暴」はめちゃくちゃなことをして、自分自身のからだを損なうこと。「自棄」は自分で自分を見捨てること。(goo 辞書より引用)
なるほど。
ちょうど、そんな感じに陥ったクライアントさんがいらしたのですが(偶然にもふたりとも40代男性ですが)、あるクライアントさんは勝つ見込みのないギャンブルで借金を作り、あるクライアントさんはお酒に走りました。
複合的な理由が重なると、過食に走るという、別な方もいます。
予想外に落胆することがあったりすると(仕事でミスや契約取れないなど)、落ち込みが激しくて、何も手につかなくなってしまう、という方もいます。
日頃は明るい未来を信じて前向きな彼らが、そんな状態に陥るのを目の当たりにするのは、伴走して見守っているコーチとしては、とても辛いものです。
自暴自棄になると、なぜ「自傷行為」に走るのか?
それにしても、ただでさえ、ひどい目にあっているのに、なんでわざわざまた自分で自分を痛めるような「自傷行為」とも言えることをするんでしょう?
心理学的には、「内と外を一致させる」ということにつながるのですが、「自分はダメなやつだ」「自分は◯◯に値しない」という「内側」の自己評価値と、「外側にある事実」とを一致させようとして、あえて、いかにダメかを証明するような行動に走るのだ、と言います。
怖いですね。人間は思うものになる、思うものを引き寄せる。
だから、何を思うか、って大事です。思考が現実化するのですから。
それぞれに違う理由から自暴自棄な状態に陥っているので、提供できるアドバイスも違いますし、それぞれの心の内での解決方法も異なるでしょう。
バリエーションはいくつも考えられるのですが、平常心を取り戻すのに役立つ考え方を、3つだけあげるとしたら、自分ならこれかなというのを簡単にまとめてみました。
自暴自棄にならずに平常心を取り戻す3つの考え方
1.「すべてのことには意味がある」
「Everything happens for a reason.」(起こること、すべてには意味があるよ)
アメリカ人が大好きな言葉です。
どんな辛いことでも、ありえないような試練でも、それが今、この場で与えられたことには、きっと意味がある。
だから、これを「レッスン」として、ここから学びを得ていこう。
そうすれば、目線は未来に向くし、時間はかかるかもしれないけれど、このできごとを引き起こした人を許し、このこと自体に感謝できる日もくるかもしれない。
どっぷりと怒りや恥辱や焦燥や自己嫌悪に浸っている状態から、そんな考え方に切り替えることで、少しだけ自分を客観視することができるようになります。
この意味も、「自分を罰するために」とか「過去の悪事の罰が当たったんだ」のように考えては意味がありません。
あくまでも、未来の自分にとって都合良いように解釈をしていくのが秘訣です。
※詳しくは、こちらの記事にも書いていますので参照ください。
参考 すべては必然。起こるべくして起こる。Everything happens for a reason
2.「乗り越えられない試練は与えられない」
激しく落ちている時に、とあるスピリチュアル系の方から、「神様はね、上野さんが乗り越えられないような試練はお与えにならないのよ」と言葉をかけていただいたことがあります。
私は現実派、ロジカル系の人と思われている節がありますが、全方位系であって(笑)、スピリチュアルも全然、いけます。宇宙の法則、大好きです(笑)。
もう8年くらい前の話なのですが、この方のおっしゃったことが、スーッと心の中に染みてきて、とても暖かな、ホッとする気持ちになったのを今でも覚えています。
そういえば、今までもそうだったな、と、ふと心が軽くなりました。
今は絶望的な状態に見えるけれど、こんな状態がずっと続くわけじゃない。
助けてくれる人もいる。自分ができることも、考えてみれば、いっぱいある。
そっか。
若干だけれど、一瞬、軽くなった心には、解決策がいくつも浮かんでくるのでした。
一度、心の向きが未来を向けば、あとはしめたもの。
策を講じて動き出せば、心はもっと軽くなります。
問題、じゃなくて、解決策に集中すればいいんだな、と、この時に深い傷心状態から立ち直るコツを覚えた気がします。
3.「この痛みは一時的であり、誰にでも起こるものである」
何か、思わぬことで悩んだ時、苦境に立たされた時、人が陥りがちな「3つのP」という状態がある、と以前にブログ記事で書きました。
参考問題に直面したときに絶対に避けたい、辛くなるだけの「3つのP」
その3つとは、Permanent(永久に続く)、Pervasive(普遍的であり、全体に及ぶ)、そしてPersonal(個人的)。
今の辛さは、永遠に続くと思えてしまうし、ダメな自分は、何をやってもダメだ、きっとひとりじゃなく全員が自分をそう思ってるに違いない…などと、ひとつのことを全体に当てはめてしまうし、誰にでも起こることとは考えずに、自分だけがダメだと思い込んでしまう。
「それは本当か?」と深層心理に聞いてみれば、いや、そうではないと答えが返ってくるはずなのに、渦中にいる時は溺れてしまうんですね。
自分がそういう状態にはまってるんだな、と気づくだけでも、気は軽くなるかもしれません。
結局、時間がすべてを解決する
私も、半世紀以上、生きてきましたので、なぜこのようなことが自分の身に起こるのだろうという出来事は、それなりに経験してきました。
時に、とても深く傷つき、辛く、そんな状態になった自分をどう対処していったらいいのやらと、目の前の果たさねばならない責任に焦りを覚えつつ、悩んだりもしました。
そんな時、いろいろな方が、言葉をかけてくれました。
こうやって、文字にまとめながら、ひとつひとつを思い返してみると、本当に、ひとりでは生きてきてないことを、あらためて知るわけです。
奢ってはいけないな、と思いますし、感謝の念が自然と沸き起こります。
この「感謝の念」が心の芯に存在することが、やはりとても強い武器になります。
今回は、生の言葉、書物の中の言葉、無数の中から、自分にとって最も有効だった考え方から抜粋してご紹介しましたが、最後に、これは考え方とは少し違いますが、「走ること」が自分にとって、とても役に立った、ということを書き添えておきましょう。
走ることが、当たり前に日課だったこと。
これで、人生、何度も救われてきたなあというのが実感です。
辛い時こそ、走る。ゆっくりと、ひとりで、時間をかけて、自然の中を走る。
それだけで、汗と一緒に流れていくものがあります。
ギャンブルや、酒や、食べ物や、非道徳的なこと、非生産的なことで自傷するくらいなら、走り過ぎて疲れて、どっぷりと眠りにつく方が、はるかに心身に良さそうです。
いずれにしても、自分はその落ち込み状態を体験した時に、すでに経営者で責任ある立場でもあったのと、自身がやることをいっぱい抱えてもいたので、立ち止まる贅沢などありませんでした。
日々のルーティンをこなし、一歩でも、二歩でも、とにかく足を前に進めること。
それだけを自分に課して、目の前のことに集中していると、いつの間にやら辛かったことなど忘れてしまっていたり。
忙しいのも、悪くないな、と思います。