以前、とあることで、とある方に、「依頼」をしなくてはならなくなりました。
全方位型で人間関係を清く正しく整えるのが常である自分としては珍しく、その方とは確執を残したままの状態で関係が途絶えていました。
先方が一方的に僕のことを嫌ってしまったからなのですが、だからこそ余計、頼み事がしづらい関係にありました。
しかし、他の選択はどうにもこうにも見つかりません。このままだと、会社の今後に大きな影響が出る可能性が高いです。いや~困った!
その時、近くて状況を見ていた友人が遠慮しつつ言いました。
「どうせ今より悪くなる余地もない位の(悪い)関係なんだから、ダメ元で頼んでみたら?」
…おお~、新鮮なものの見方。っていうか、完全に他人事でしょ、と睨んでみせましたが、一理あります。
仮に無理された場合、ま、そんなもんだよな、と諦めるだけです。
仮に激怒された場合、ま、今も別に良い関係じゃないし、すでに仕事にもパーソナルにも関連がない人なわけで何ひとつ変わることはない。そもそも激怒されるほどの頼み事ですらない。
…となると、リスクは何もないことになりますね。
そこにあるのは、「メンツ」とか「恥」とか「拒絶(あるいは激怒)への恐怖心」など、自分の内面ファクターのみです。だったら、ことの重大さを考えたら、そこは無視しなくては。
ダメ元って、そういうことか…。
ふぅ~と深呼吸して、おもむろにメールをしたためます。
「ご無沙汰しておりますが、お元気でいらっしゃいますか?
実はこの度、折り入ってお願いしたいことがありまして…」
何度も何度も失礼がないかどうか読み直して、心臓をバクバクさせながら「送信」をクリック。後はもうなるようになれ、と開き直っていたら、すぐに返答が来ました。
「分かりました。協力します。」
え? 一瞬、目を疑いましたが、以前の確執のことはどこかに行ってしまったようで、僕への感謝の言葉とか書いてあったりして、とんでもなく拍子抜けです。
そして、「どうせダメ元…」と背中を押してくれた友人に心から感謝しました。自分の中にはまったくない考え方を教えてくれたからです。
この時、僕が「どうせ受けてくれっこない」と鼻から諦めていたら、その方の力はお借りすることができずに、大きな損失を出していた可能性が大です。
どうせ無理、という言葉について、最近のブログでも書きましたが、この時もどうせ無理と思って、初めから選択として考えもしなかった。
だけど、それをやってみたら、するっと実現してしまったのです。
いやあ、人はいったい、どれだけの可能性を試すこともなく「無」にしているんだろう、と思いました。
ライフコーチのセッションにおいて、この話の教訓が、とても役に立っています。