私の子どもの頃は、誰もが皆、タバコを吸っていた時代でした。親も吸っていたし、親戚の集まりでも、ほとんどすべての人が吸っていた。
だから、高校生になった時、自分も吸うのが結構当たり前なところがありました。学校ではまったく吸いませんでしたが、高校3年の時、家で吸い始めたのが最初だったかと思います。親も別に驚かなくて、火の始末をきちんとしなさいとだけ言って、灰皿を置いてくれた気がします。
割りと良い校風の学校だったので、学校でタバコを吸って問題を起こす生徒は稀な存在でした。皆、お行儀良かったし、おとなしかった。
僕も目立たず、静かで、にこやかで、穏やかで、無害な存在に見えていたことと思いますが、心の中に反逆児が存在していて、彼を鎮めるのになかなか苦労していた時期でもありました。タバコを吸うことは、彼を納得させるためのひとつの方法だったのだと思います。
バブル期の広告代理店で働いたので、社内もほとんどの人がタバコを吸っていたし、当時はオフィスの自席で吸えたので、際限なく一日に二箱くらい吸う人もいたように記憶しています。僕にとっては、オイシイと思いながら吸える限度が一日ひと箱のようで、それを超えることはありませんでした。好きな銘柄は、Marlboro。赤のオリジナルから金色のライトになり、最後に吸っていたのは緑のメンソールでした。
ハワイに移住しても、当たり前のように吸っていたのですが、パートナーが途中で吸わなくなったり、ひと箱の値段が5ドルを超えたり、インターンをしていた会社でも外で吸って戻ってきただけで煙たがられたりしたのもあって、1997年12月、MBAの最後の授業が終わった日を境に、禁煙に踏み切りました。
当時、流行っていた腕に貼るニコチンパッドを使用し、とにかく口から煙を入れる習慣断ちをします。きりの良いタイミングを選んだこともあり、大きなストレスを生んでいた学校と仕事の両立から解放された心地良さからか、心配したほどでもなく、簡単に止めることができました。
食べ物が美味しく感じるよ、と言われるのは本当だなと思いました。そのためか、口さみしくなるためか、体重も増えるよと言われたのも、その通りになりました。
でも、そんなことはどうでも良くて、自分が「タバコを吸わない人」になれたことがひたすら嬉しかった。文化的な人、洗練された人、良識ある人、健康的な人、セルフコントロールができる人の仲間入りができたと、嬉しかったのです。
それほど、ハワイにおける非喫煙者の喫煙者への目線は厳しいものがありました。ほとんど「蔑む」ようにみられている、あるいは「嫌悪感」を持たれていると感じていました。だから、止めることすら考えられずにいる自分が嫌でした。弱い人間、とも思っていたのです。
しかし、禁煙成功という喜びも束の間、数カ月後、今度はニコチンパッドを止められなくなっていることに気付きました。期間を置いて、どんどん小さいものに変えていくのですが、最後の最後、一番小さいサイズのものを「しない」選択ができなくて、困りました。挑戦してみるのですが、そわそわ落ち着かず、あれ、あれ、と動揺しながら、集中力を取り戻すために貼ってしまうのです。
貼ったり、取ったり、また貼ったり。そんなことを繰り返しながら2年が過ぎ、まだまだタバコとの闘いは終わってないのを実感していました。仕事でもストレスが多く、まだまだ自制の仕方を知らない頃だったので、ついタバコへと手が伸びてしまいそうになるのでした。
初めての社長という仕事でストレスがピークに達していた2000年代前半は、会社に行く前に駐車場で1本吸って、昼休みに裏庭で1本吸って、というのが習慣であり、毎朝の愉しみとなっていました。パートナーや社員にすら隠れて吸う、この1-2本が止められずにいました。吸っていることを悟られないように、こっそり嘘をつきつつ吸うわけですから、自尊心にとって良いはずもありません。
日本に出張に行くと、もう迷いもなく喫煙者に逆戻り。帰りの成田で一本深々と吸って、ハワイではニセ禁煙者を装う生活に戻りました。
久しぶりにタバコを吸うと、100%の確率で頭が痛くなりました。気持ち悪くもなりましたし、頭がクラクラしました。しかし、このクラクラが何とも良いのです(苦笑)。これがあるから止められないと言って良いほど快感でした。クラクラと求めて、出張のたびに僕のダークな快楽は何度も復活しました。
ああ、こんな自分、もう嫌だ…。これじゃあまるでアルコール中毒、ドラッグ中毒と一緒じゃないか。嘘までついて、何やってるんだ…。
そんな感情がピークに達した頃、成田空港で「読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー」という本を手にします。2006年くらいだったかと思います。
この本の中で覚えているのは、「とにかく一本吸ったらおしまい」ということでした。一日一本くらいなら…と思うことがもうダメで、吸うか、吸わないか、ふたつにひとつしかないのだと教えていました。ベストセラーになるのもうなづける、説得力ある内容でした。禁煙にはとくに秘密の方法などないことも分かりました。ただ、吸わない、と決めて、自分の心に嘘をつかず、それを日々、全うすることだけなのです。
それから今まで、一本も吸わずに来ました。一本吸ったら終わりだ、という切羽詰まった思いが、その行為を遠ざけてくれます。不思議なもので、吸わない期間が長くなればなるほど、タバコを臭いものに感じ始め、あれほど魅力的に見えていたことが嘘のように、吸った時の気持ち悪さが前面に押し出されて、二度と吸いたいと思わなくなりました。吸えば頭が痛くなる。気持ち悪くなる。だから、自然と遠ざける方に向かっていったのでしょう。そして、習慣が、癖が、すーっと消えていく。もちろん心の安定も大事なファクターです。
時折、禁煙した人と止める苦労について話すことがあります。
「あの頃、夜寝る前にタバコが切れたりしたら、翌朝が怖いから、わざわざ買いに行ったもんね。」
「これで止めようと思ってタバコの箱をゴミ箱に捨てるんだけど、そのままだと絶対にまたゴミ箱あさって吸っちゃうから、ちゃんと水につけてボロボロにして、絶対に吸えない状態で捨ててたよ。」
これはきっと、タバコじゃなくても、摂食障害でも、アルコールでも、ドラッグでも、似たようなものなのでしょう。中毒という症状に囚われてしまって、自分の意志ではないところで抑えがきかなくなってしまうのは心底恐怖です。もう二度と味わいたくない恐怖です。
タバコとの格闘から学んだことは多く、自分にとって「悪い習慣」を断ち、「良い習慣」を取り入れていくためのトレーニングになったように思います。あれだけ中毒性、習慣性の強、合法で簡単に手に入れられるタバコを、自分の選択として止められたのなら、食事に気をつけることや、質の高い睡眠を確保すること、良い思想や思考法を取り入れて、ネガティブな思想を排除することなど簡単です。
タバコを止めるべき理由はいくつもあり、世界がその方向へ向かっている中、今でも喫煙している人はいます。日本はまだまだ喫煙者が多い国のひとつのようですが、それでも過去10年くらいで、劇的に喫煙率は下がっています。(トップのグラフは、厚生労働省の公式発表。男性の喫煙率はグングン下降しています。)
心のどこかで「自分もやめられたらいいのにな…」と思っているのだとしたら、それはセルフイメージ、自己肯定感にとって、とても良くないことです。間違いなく身体は楽になりますし、心もやがては落ち着いていくと思いますので、「自分にはできる」と信じて、取り組んでみてはいかがでしょうか。