今の仕事がまだまだなことの証明のように、今でも「元◯◯の」という紹介のされ方をする時があります。
もちろん、皆さん気を使って、「元◯◯で、今は◯◯の」とちゃんとつけてくださるのですけれど、もし「今の◯◯」が図抜けているのだとしたら、きっと元◯◯は、使われなくなる気がするのです。
だから、早く、それがなくてもいい自分になりたいなあ、と思って、精進を続けております(笑)。
もちろん、過去にそれだけキャッチーなフレーズとなる経歴があるから、あるいは、そう言った方が持ち上げられる何かがそこにあるから、使っていただけるのでしょう。
それはそれで、嬉しいことだし、過去を恥ずかしいと思う理由はひとつもありません。
ハワイのメディアを辞めてロサンゼルスに行きます、と言った時、それまでかわいがってくださった、某有名企業の元ハワイ本社社長さんSさんが、こんな言葉をくださいました。
「会社辞めると、途端に皆が見向きしてくれなくなるぞ。勝負できるのは、自分だけだからな。覚悟しなさい」
きっと驚くような人の変貌をご覧になった後だったでしょうから、その言葉には十分な重みがありました。ズシッと来ました。
その方は、今でもずっと結構、元◯◯を使っていらっしゃるのですが、引退まで務められたお立場がやはりそれなりのものだったから、言えば簡単に箔がつくんですよね。
というのと、キャリアの最後に、何をしていたか、どこまで上りつめたのか、ということは、きっと「勲章」と同じようなもので、一生残るのだろうなあとも思います。
まだまだ自分は発展途上もいいところなので、その辺はよくわかりませんが。
彼も、かつての影響力・政治力が巨大だっただけに、引退した瞬間に、世界が変わってしまったのだろうと思います。大会社の方ほど、そのギャップの大きさに驚くものでしょう。
もちろんそのことは、頭では理解していたはず。けれども、それが実際に起こってみると、愕然とするものはきっとあったのだろうと想像します。
それが、どれほど辛いか、多少、惨めな気持ちも誘うし、自己否定された気にもなるかもしれないし、人の嫌な面をつい見てしまうことでもあるのかもしれません。
私も編集長を辞めます、という時に、「え、次の編集長はどなたですか。ぜひご挨拶させてください」と眼の色を変えて名刺を探されたりすると、多少、ざらっとはしました(笑)。
自分から辞めていくのに、身勝手なものです。
ハワイからロサンゼルスに行った時は、その元◯◯は、基本的に役に立たないものでした。
小さな島では有効活用できても、ロサンゼルスでは、なにそれ?的なものでもあったからです。
長年の間に積み重なった人間関係も、信頼関係も、知名度も、ほぼゼロにリセットされました。
カッコつけて言うわけではないですけど、勝負できるのは、自分の「実力」しかありませんでした。
本当に、カッコつけて言うわけではないですけど、あえて、そういう世界に行って、自分が通用するのか試してみたかった。
小さな島で、ぬくぬくとしてる場合じゃない、と、勝手に思ってたんですね、あの頃。
島にいても、島を超えて大きく活躍している方はたくさんいますし、島の中でだって、もっともっとできることはたくさんありました。
だから、島のせいじゃない。ただ、環境を変えてみるのが、自分の成長には一番、近道かな、そう思っていました。一番、簡単。一番、てっとり早い。そういうことです。
大きくて、強いブランド力を持つ会社にいた方は、いつまでもずっとその会社名を使っていたりしますよね。
よっぽど会社を愛していらしたんだなあと思ったり、その次のお仕事がなかなかブランドにならないんだなあと思ったり。
サラリーマンを引きずってたら、個人では勝負しにくいだろうになあ、と思ったり。
自分がいた場所を引き継いでくださった方々にも申し訳ないので、本当に早く、「元◯◯」が必要ない自分になれるよう、がんばります。
しばらくはごめんなさい、という感じですが(笑)、長い目で待っていてください。
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