僕は若い頃、いつも個性がないと悩んできました。高校の頃も、大学の頃も、「普通」な自分に悩んでいました。自分はなんて特徴のない、つまらない人間なんだと。
ベジタリアンとか、ゲイとか、ハワイに移住したり、50過ぎてトライアスロン始めたり、朝4時半に起きたりとか、世間的に言えばすっかり変わった人になっている今から見れば、笑っちゃうような話ですね(笑)。
個性がないことを悩みながらも、実は同時に「変わっていることを悟られないようにしなければ」と、周囲に合わせている自分もいました。
ほとんど恐怖心すら感じながら、人の顔色をうかがって、空気を読んで、場の色に染まるように必死でした。その色が単色ならカメレオンのように染まりやすかったのですが、たくさんの人がいると、どの色に染まればいいのか分からずに、困惑したまま無色透明を装い、気付かれないように時が過ぎるのをじっと息を潜めて待っていました。
そして心で思うのです。
「この人たちのように個性があったらいいのにな」と。
わざわざ自分から色を消しているというのに、同時に強い色を主張する人に憧れる。
とても矛盾した話です。
ライフコーチのワークショップやセッションをやってクライアントさんとお話すると、かつての自分と同じように「個性がない」と悩んでいる人がいることに気付きます。その方々が比較として持ち出すのが自分だったりすると、思わず苦笑いしてしまいます。
いやあ、僕もかつてはそういう風に思っていたんですよ、と告白すれば、当然のことながら驚かれます。
日本語では、個性的、という言葉を好意的に使う場合と、そうでもない揶揄するような意味合いで使う場合とあります。英語でも、Uniqueという言葉を、「あの人ちょっと変わってるね」というニュアンスで使うのと似ています。
好意的にいう場合は、「何かに秀でている」とか「独創的」とか良い意味になり、悪意的に言うと、「変わっている」、あるいは「変な奴」となる。
当時の僕には隠しておきたいことがあったから、「変な奴」と思われることを極端に恐れていたのだと思います。心の周りに何重にもバリアを張り巡らせ、そのために自分らしさを表現することができなくなっていった。人に合わせようとする余りに、自分を見失ってしまっていた。
その頃、個性的、と思っていた人たちには、いくつか特徴がありましたが、それは一言で言えば、「自分を主張する」ということだったように思います。大きな声で、ひるまず、ありのままの自分を表現するということ。人からの批判など怖れずに、思ったことをそのままに口にすること。
人はもともと個性的です。ひとりとして同じ人間などいないわけで、だから、そのままの色を見せることができれば、それはすなわち個性なのです。問題は、それができないことにある。その原因を探って解決しないことには、なかなか自分が満足するような個性的な人にはなれないかもしれません。
自分のことを、平凡、凡庸であると考える人は、とくに日本人の場合、多いかもしれません。その背景には、普通に大学に進学し、普通に就職し、普通に結婚して、定年まで何となく同じ会社で働き、という生き方が「主流」だった歴史的事実があるかと思います。
確かにその道のりだけを、はしょって言えば、多くの人がある種のパターンにはまって、同じように見えてくる。だけど、虫眼鏡で見れば、ちゃんとその人なりの凸凹があり、それは指紋のように、ひとつひとつが違うはずです。
個性的な人間になるための5つの方法
今、「個性的になりたい」と自分を訪ねてくる人にお話しするのは、だいたい下記の5つのようなことかな、と思います。
1.自分を知る
人は意外に自分のことを知らないものです。知ってみれば、あれ、自分って相当変わってるかも?と思えるはず。
自分の好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、不得意なこと。すべて正直に書き出してみれば、誰一人として同じものを書くことはないはずです。ワクワクすること、ドキドキすること、憂鬱になること、逃げたくなること。一度、自分で整理してみると良いと思います。
セミナーやワークショップでは質問用紙を用意して、直感的に埋めてもらって、自分で自分を知ることから始めます。大切な価値観を対話や質問から導き出して、自分でも気づいていない自分を知ることから、まずはスタートです。
2.人を知る
可能なら、1番で書いたものを人と比べられたら良いと思います。「誰一人として同じものを書いていない」ことを、実際にこの目で見るのは、自分を知る上でとても重要です。
似ている人はいるけれど、まったく重なる人などいません。同じ価値を共有できる人はいるけれど、違う部分が必ずあって、ひとつの価値と別な価値とが共存できることをそこで初めて知ったりする。
自分を知るために、感情をからめずに客観的に人と比較をしてみるのは、かなり有効だと、過去のセミナーからも気付きました。
3.自分を受け入れる
自分のことに気づいたら、そんな自分を、良いところも、ダメなところも含めて受け入れてあげることです。深い自己受容。自分を無条件で愛してあげること。そして赦すこと。
なかなかひとりでできることではないかもしれなくて、だからライフコーチやカウンセラーやセラピストの存在が重要なのでしょう。
世の中にたったひとりしかいない自分。その自分を自分が愛してあげなくては、いったい誰が愛してくれるというのでしょう。ここができることが、癒やしや成長のためのブレイクスルーポイントとなっていきます。
4.空気を読み過ぎない
日本人の美徳でもある空気を読む力。しかし、アメリカに来て思いましたが、これが個性の発揮を邪魔してしまうことは多いようです。空気を読む能力が「迎合」になってしまって、自分の意見の主張や独自性の発揮を妨げてしまう時がある。
アメリカのように、「自分はこう思う」を表現することが大切な社会で人の意見に同調ばかりしていては、誰も存在を認めてくれません。日本であっても、個性的と思われたいならば、あえて空気を読む力のスイッチをオフにして、厚顔無恥になりきって思ったことを自在に表現する「技術」を覚えていくことは不可欠です。
そう、これは「技術」だから、誰にでも習得可能だと信じています。
その際に、どのくらいのフィルターをかけていくか、その調整度合いが、文化的な背景によって異なる部分です。自分なりの考え方を持つこと、そしてそれを表現するという部分においては、別にどこにいようと関係ないな、と今は思うようになりました。
5.群れない
人といないと、あるいは何かに属していないと不安な人もいるかと思いますが、そのことで自分らしさを育てることができなくなるケースもあるかと思います。
いつも同じグループとばかり一緒にいたら、その中に染まりきってしまって、自分のカラーはどんどん交じり合ってなくなっていきそうです。価値観が、とても平面的になってしまいそうに感じます。グループに属するのもいいけれど、いくつかの質の異なるグループに属することで、個性にも彩りがどんどん備わっていくのではないでしょうか。
会社人間であるのは良いですが、会社の外で、趣味のグループにも属したりしていれば、別な価値観に触れることもできて、きっと人生はもっとカラフルになっていくはずです。