ハワイに移住して最初に年始を迎えた時、英語にニューイヤー・レゾリューションという言葉、習慣があるのを知りました。
年頭の誓い、新年への抱負、という意味です。
日本でも、一年の計は元旦にあり、というように、年末年始には、誰もが気分を新たに、巡り来る年を最良のものにしようと、願をかけるようですね。
ある時、ハワイの新聞記事で、新年の抱負を紙に書くと、実現する確率が60%も上がるんだと書かれていました。
確か追跡アンケートの結果に基づく記事でした。
「思っているだけではなくて、紙に書くことは大事だよ」ということが主旨で、なるほど~、そうか~と、それからは自分も毎年、必ず夢リストを書くようになりました。
でも、もちろん、ですが、全部がそのまんま叶ったわけではありませんでした。なんとなく実現したものもあり、年末になって、「あ、こんなこと書いてたんだっけ」と思い出して、また同じことをあらためて書いてみたり。
会社の中で、社員にも生きがいを感じてもらいたくて、目標リストを作る、なんてことをやってもらったりしてみたのですが、実現する、しない、の前に、「それって、夢なの?」ということから突っ込まねばならなかったりもしました。
あまりにも望みが小さくないか……みたいな感じで(苦笑)。
あれって、確かクローズドでやったような気がしましたが、皆に見られると思って、恥ずかしかったからなのかな?
こっそり見ると、給料アップとか、それって、社長に対するアピール?みたいな言葉ももちろんありましたけれど、そこは図太く無視して(笑)。
いや、アップならアップでいいのですが、何%くらい? いくらくらいほしい!というところまで書かないと、なんとなく漠然としすぎていますよね。
もったいない、とか思ったのを覚えています。
そもそも夢というものは、それがなぜ重要なのか?というところまで見極めないと、なかなか強い動機が長続きしていかないものでもあるのです。
そこの根本的な「なぜ」が、どうも考えこまれておらず、同時に、夢のサイズも、とても「控えめ」なんですね。
ライフコーチのセッションにおいても、セミナーでも、同様のことを感じます。
セルフイメージが低いのか、想像力に乏しいのか。
あるいは最初から、無理と諦めていて、マインドが萎縮して小さな願望しか思いつかないのか。
反対に、とんでもなく現実離れした夢のまた夢のようなことが書いてあって、でも、それって、どこかで聞いた他人の願望で、自分のものではなかったりもします。
どうやら、この新年の抱負とやらも、ただ書けばいいってものじゃないな、「こりゃ実は奥が深いな」というのを感じてきました。
そもそも書いたら叶うって、スピリチュアルな響きで聞こえはいいのですが、現実には、書いて、実現のために何かをしたから、叶ったはずです。
宝くじが当たる、って書いているのに、宝くじを買わなかったら当たるはずがない。
ダイエットする、って言ってるのに、生活を見直して食か運動の習慣か、何かを変えなければ、自然に体重が落ちるわけがない。
そこには、何らかの「変化」があったはず。
今までとは「違う行動」があったはず。
それをさせる、なんらかの「衝動」があったはず。
それを続けられた「理由」もあったはず。
世界名だたる投資家のウォーレン・バフェットさんが、こんなことをおっしゃっています。
「目標とは、夢に計画と締切が伴ったものだ」
あなたの書く新年の抱負が、もし計画と締切を伴わないのだとしたら、それは、夢のままで終わる可能性も高い、ということです。
夢の実現に向けて計画をして、マイルストーンとなる目標を定め、必要な行動を習慣化して、こつこつと着実に前に進めて行く。
それ以外に、夢が達成する方法ってあるのでしょうか?
新年の抱負も、実はとっても奥が深いものなんです。
思考は現実化する。それは大切な真理ですが、それでも、思っているだけでは、実現はしないのです。