フェイスブックは、3年前くらいに遡って、同じ日付に何があったかを教えてくれたりしますよね。
で、ちょうど3年前のこの週末辺りで行ったセミナーの記念写真が出てきまして、お、ずいぶんとぽっちゃりしてたなあ、と思ったのでした。
その写真が、上のもの。
この時は、多分、73キロくらいあったかと思います。
走っていて、とても健康な状態で、そのくらいありました。いつしか、その体重が、自分にとっての「当たり前」になっていたんですね。
別に太っているとも言われず、どちらかというと、痩せているように見られることのほうが多かったわけですが。
上着はアメリカサイズのM、下はS。パンツのウエストは79センチ(31インチ)が標準でした。
これが、2012年の10月。
この翌年あたりでしょうか。
マラソンのトレーニング本を何冊かまた読み直したり、新しく仕入れたりしている内に、こんな記述に出会ったのです。
「1キロ体重が落ちると、10分、記録が縮まる」
おお~。
痩せるメリット、というのを、明確に提示されると、やる気も湧いてきますよね。
ボストン・マラソンの出場資格が、3時間30分を切ることで、なんとなくそこに照準を合わせられるくらいに進歩してきたので、ここは一気に、実現へ!と思って、体重を落とす、という、あまり人生で意識したことのないことに、意図を持って挑戦してみたくなったのでした。
ちょうど独立を目指して準備していた頃で、1)2014年春のロサンゼルスマラソンで記録を作りたい(だから練習もたっぷりしないとならない)、2)将来に向けての勉強をガッツリしたい、ということで、時間がいくらあっても足らなくて、行き着いたのが、「ランチ、いらない」という結論でした。
会食やランチミーティングもあったので、毎日、というわけにはいかなかったですし、週末は時間も余裕があるので、ちゃんと食べたのですが、平日の5日間の内、3日くらい、昼休みにはコーヒーショップへ行って勉強をしながら、ちょっと甘めにはちみつとか入れた豆乳のラテを飲みながら空腹感をごまかすこと2ヶ月。
そのランチタイムを過ぎさえすれば、あとは仕事に集中しているし、結構、なんともなくい時間が過ぎていくのが不思議でした。
1ヶ月もする頃には、するするっと、体重が3キロ、落ちていました。なんだか久しぶりに見る70キロ、という数字です。
ハワイに移住してから、やっぱりかなり体重が増えていましたからね。最高で81キロまでいったので、実に感慨深かったです。
パンツはさすがに30インチでないと、ゆるく、みっともない感じになりました。
その時に感じたのは、身体は、すぐに「慣れる」ので、変化や刺激を与えてやるといいらしい、ということです。
それと、ランチ抜いたくらいで死なないし、餓死しないし、人間、全然、平気、というのも良く分かります。なーんだ、ランチなんて、別に食べなくてもいいんだ、と、人生で初めて気づきました。
それは、朝ごはんをやめて、一日二食にした2007年後半くらいの衝撃と同じです。
断食だって、一ヶ月以上やっても全然、平気ですからね(自分は体験ありませんが、お話としては多数読んでいます)。さらに、最近は「不食」という考え方が話題になっていて、こんな記事も拝見したばかりです。
⇒ 「榎木孝明さん、30日間の「不食」生活ってどんなものだった?」
人は、退屈しのぎに、レジャーとして食べていますよね。あるいは、人との会話を楽しみたいから、食事、という場を上手に利用したりもしています。
だから、食べるという行為は、結構、複雑なんです。だから、コントロールが難しい。
8年前くらいに朝ごはんをやめた時、朝の時間が手持ち無沙汰で一瞬、驚きました。食べないと、時間がものすごい生まれるんですよ。
食べないと、消化のエネルギーも使わないので、元気も百倍。睡眠時間も、短くてコンパクトに濃縮されて、すっきり気持ち良いのです。
なにか成し遂げたくて、時間がない!と言っている人には、相乗効果、抜群です。
なので、まず3キロ痩せたい、という方には、時々、ランチ抜いてみたら? というのを、軽くおすすめします。
もちろん、もう一食で、きちんとバランス取れた栄養取るのが大事ですけどね。野菜と果物です。なんと言っても。(これには、たくさんの反論もあって、何を選択するかは、個々の勝手ではあるのですが)
さて、でも、2014年の春のマラソンでは、あえなく撃沈したのです。途中で歩いちゃって、記録は出せず。まだこの体重では重い、というのも実感しました。
その後、トライアスロンをやることになって、5月下旬の大会に向けて、スイミングクラブに入って、泳ぐ特訓を始めました。
週三回のそのトレーニングの成果が実によく表れまして、走っているだけでは動かなかった70キロという数値が、するするっと67キロまで落ちました。
またここで3キロ減です。
それが、この写真を撮っていただいた頃のことです。2014年の5月。
思えば、この時は、独立してからすぐで、自宅ベースでひとりで仕事をし始めたので、「外食がなくなった」のですね。そして、机でじっと書きものばかりしているから、たいしてお腹もすかない。
もともと外食しない派ではあるのですが、会社で役員とかしていると、やっぱりゼロにはならなくて。それが、ひと月に3回とか、笑っちゃうくらい極端に減ったわけです。しかも、フリーになったばかりで、お金セーブしたいモードだったこともあり、効率よく食べる、ということにもつながって、きっと自然と低カロリー食にもなっていたのでしょう。
会社では、おみやげとか差し入れとかよくいただくし、自分も皆のためにドーナツとか買っていって、率先して3つも4つも食べていました…。そういう外的誘惑がまーったくなくなったのも、きっと大きかったです。
トライアスロンのトレーニングを楽しみつつ、バテることもなく、ぐんぐん上達しつつ、そして、引き締まって痩せました。一石二鳥。
その後、2015年春のロサンゼルスマラソンで、やっぱりどうしても3時間30分を切りたい。早く切って、記録に挑戦する苦しいマラソンからは卒業したい、という思いが強くなり、それがモチベーションとなってトレーニングメニューをガラリと変え、高橋尚子さんを育てた小出監督さんのプログラムを参考に、厳しい練習を始めました。
時に、クラクラしてしまうこともあって、調べると、軽い貧血っぽい症状でもあったので、こりゃ、しっかり栄養価の高いものを食べないと、と、アボカドとか豆腐とかオリーブオイルとか、とにかく量も五割増しくらいに増やして食べました。でも、もちろんヴィーガン食のままです。
お腹がふくらむほど食べているのに、練習の成果が出て、自然と、大会前には、65キロ、そして64キロ、とするする軽くなっていったのでした。長く走って汗をかいたあとなんかは、62キロ台が出てしまうこともありました。
下記の写真は、レースのちょっと後。66キロに戻しつつあった頃かと思います。
この頃は、会う人に心配されてしまうくらい、カリッカリな印象だったようです。
自分でも、持っている服がまったく合わなくなってしまい、カッコ悪い状態ではありました。どうせすぐに戻るから、買い直すのもなあ、と我慢。
マラソンは楽になったのかもしれないけれど、鏡を見ても、自分の好きな体型ではありませんでした。
(マラソンは、途中のトイレ休憩もあって3時間31分強で、またしても記録は達成できなかったのですが……)
軽い筋トレやヨガをしながら、食べる量を少し増やし、食べるものも気をつけながら、ランニングは軽く流すだけにして、2~3ヶ月で68キロまで戻し、今に至ります。
それでも、3年前の写真と比べると、5~6キロは少ないので、ずいぶんと印象も違うし、身体の軽さも違います。
すると、頭の働き具合も、違って感じます。集中力が持続して驚きます。
またマラソントレーニングを本格的に始めれば、するすると2~3キロ、痩せていくかもしれませんが、平常時は、今くらいがちょうどいいかなあ、あるいは、もっと筋肉はムキッとさせておきたいかなあ、とロサンゼルスにいる、周囲のカッコいい方々を見ながら迷ったりするのは、実はきっと贅沢なことですね。
という感じで、菜食主義、朝ごはん食べない一日二食主義(朝の自家製生ジュースは欠かしませんが)、マラソンやります、というところで、かなり「特殊」な条件がそろった減量体験かもしれませんが、クライアントさんでも悩んでいる方もいるので、何かの参考になればと思って書いておきました。
一番、参考になるのは、一食、きちんとした食事ができる人ならば(量じゃなくて質の話)、時にランチくらい抜いても大丈夫みたいですよ、というところでしょうか。
何気なく習慣になっていることに、意味はそれほどなかったりなんかするわけです。
だから、簡単に死んだりしないから、体重が落ちていいはずなのに落ちなくて、慢性化しちゃった感じの時には、一発、「刺激」を入れてみるといいよね、と思います。(抜くことであれ、違った運動をすることであれ)
身体のホメオスタシス(恒常性)を上手に狂わすことが、きっとコツなのだろうと思います。
とか言うと、「食べることが生きがい!」と反発したくなる人もいるとは思うのですが、「食べることだけが生きがいじゃないですよね?」とお返ししたいです。
それだけ生きがいだなんて、寂しすぎます。
もっともっと他に楽しいこと、いっぱいあるし。三食、豪華三昧、好きなものたらふく食べることだけが生きがいなわけではないな、と、少し「食」に関して派なら貸して考えられるようになると、いろんなことが同時に楽になっていくとも思います。
食事、とくに会食の楽しさ、家族とのだんらんの楽しさ、重要性などを否定するものでもなんでもありません。
好きな人との食事を時間をかけて愉しむことほど、有意義な時間の使い方もありませんよね。すべては、「バランス」です。これもまたきっと、バランスのお話です。