(At Sacred Fall in May, 1994)
数字のこと、日付のこと。とくにセンチメンタルな方でもないし、無駄なことはできるだけ脳の格納庫から追い出して有用なことだけ覚えていたいと思う方なのですが、それでも不思議に記憶に残っている日付というのがあります。
僕にとっては、初めてハワイに行った1993年12月28日と、ハワイに移住した1994年8月28日がそう。たまたま両方が同じ日付だったこともあってか、2と8が常に自分の意識する数字だということもあってか、忘れずに覚えているんですよね。意味深いできごとと結びついているから、時折、思い出しているせいなんでしょう、きっと。
僕がハワイに移住したのは、ただ、ハワイで出会った好きな人と一緒に暮らすためです。それが唯一の理由。
公式な場面では、バブルがはじけて広告業界が落ち込んでて、日本社会が停滞ムードで、自分もここで何か大きなチャレンジや変化がほしくて、たまたま行ったハワイに癒やされて、そこで暮らせたらと思い切って…みたいなことを言ってきましたが、ハワイ発メディアの代表者としては優等生的な答えをせざるを得ない状況でもあったし、その部分については「嘘」なわけではありません。それはそれで事実。ある一部分を切り抜いた状態でお話していただけです。
誰か待ってくれている人でもいなかったら、こんな臆病者ができることではなかっただろうなと、自分ではよく分かっています。勢いというファクターもひじょうに大きいものでした。誰も頼る人がいない状態で、自分で移住を決めて実現してる人のことは無条件で尊敬します。まして自分で事業を起こしたりしている人なんて、雲の上の別世界の人…。
1993年の年末に来て、初日の夜に出会った彼は、翌日からの4日間、ちょうど僕の旅の日程分、もともと有給を取っていました。そこからして、何かでき過ぎなくらいの運命。
それから毎日、一緒に遊んだり、フリーマーケットに連れて行ってもらったり、ご飯を食べたり、毎日会っては思いが深まり、大晦日に日付が変わって、誕生日になったその瞬間を一緒に迎え、元旦の夜明けにツアーバスが迎えに来るまでの間、アラワイ運河沿いに停めた車の中で夜を明かしました。あんなに人と離れる瞬間が辛く思えたことはありませんでした。
3月にまた3泊で戻ってきて、ゴールデンウイークには10日間くらい来て、そこで移住を決意。帰国早々、上司に退職を告げ、親に告げ(大泣きされ…)、6月にまた下見やリサーチに来て。7月末に退職し、学生ビザが無事に発行されてからチケットを押さえ、一カ月の有給消化が終わり、8月28日に渡航してきたのでした。
スーツケースひとつと、そして巨大なマックのデスクトップを箱ごと抱えての移住でした。
あれから20年。今はロサンゼルスにいたりしますが、そして昨年暮れから一度は離れてみたりしましたが、ハワイは強力な力で2人に大切なものを気づかせてくれたようです。
「松ぼっくりに火がついた」と言った人がハワイにいるらしいですが(言い間違いの多い広告会社の方です・笑。それを言うなら「焼き木杭」ですから)、はい、また一緒に戻っています。シングルを謳歌する心の体制が整う前に。
8月28日は僕の移住記念日。そして2人の生活が始まった記念日です。