めったに外に出ない私ではありますが、先週、
たまたま出かけた日に、車、衝突されちゃいました。
珍しい雨の日で、交差点で皆が急ブレーキかけて止まって、
自分もあわてて止まったのですが、後ろの方が止まりきれず、
賢明に避けようとしたものの、端っこがガシャンとぶつかりました。
ま、止まろうとして、止まりきれず、な状況なので、
人体に影響があるほどの衝撃ではないのですが、
とはいえ、車にはダメージが残りました。
相手は、ミニクーパーという、まあ超小型車。
こちらは、中型SUVなので、症状は、あちらの方がかなり重め(苦笑)。
私の車は、バンパーの一部が破損し、
マフラー外側の装飾部品が落っこちた程度で済みました。
で、こういうとき、
「アメリカでは謝ってはいけない」
とか、教えこんでいる人もいたりするようですが、
いやあ、心証悪くしますしねえ、人間としておかしいし、
普通、悪いと思ったら、謝りますよね(笑)。
それはアメリカでも一緒だと思いますが、
どこの世界の、どんな状況のことを言っているのかな。
私にぶつかったドライバー氏は、28歳、白人男性。
Are you okay?と、相手の身体をまず気遣いながら、
Sorry, sorry, I am really sorry, terribly sorryと、立て続けに
20回くらいは言ったかな(笑)。
恐縮し、動揺し、申し訳ないほど、すまなそうにしています。
彼が自分で警察呼んで、「自分が悪うございました」と説明し、
なぜか彼のお父さんが電話で話したい、と言ってきて、
お父さんもまた、お詫びにお詫びを重ねつつ、私の身体を心配し、
今後の修繕に関するプランを誠意持って提案してくださいました。
翌日もまた電話してきて、身体は大丈夫かと聞いてくれる念の入れよう。
そこに、「好印象を与えて許してもらおう」的な思惑は見えず、
ただ、過失によって不都合をもたらしたから、
心配だし、普通にお詫びしている様子です。
たまたま、良い人に当たった(当てられた・苦笑)とも言えますし、
アメリカでは(ほとんどの州では)、後ろからぶつけた方が
自動的に加害者、となる法律?だかがあるので、
まあ、言い逃れはできません。
でも、ということとは、全然関係なく、
アメリカ在住25年半、今回みたいな対応って、私にとっては
想定内
であって、別に意外でも何でもなかったです。
お詫び、といえば、
テキサスに来てから、驚いたことが実はありました。
スーパーの通路で、行き違うときにぶつかりそうになったりしますよね。
とくに通路から通路へと移動するときに、見えにくかったりして、
カートがぶつかりそうになるなんて、まあ、当たり前にあることです。
そんなとき、ものすごく丁寧に「あ、すみません」「あ、ごめんなさい」と
とっさに相手の口から出てくるのですよね。
そのタイミング、その姿勢、言い方、
ん? なんか懐かしい感覚、と記憶をたどったら、
どうも日本人のタイミングに近いようです。
もちろん、言葉はSorryではなくて、Excuse meの方が多い。
Sorryだけがお詫びではないですからね。
時と場合、程度の差で、使うべき言葉は変わりますが、
ハワイ、ロサンゼルスとは、少し違う感覚がここにはあります。
リアリティ番組とか見てると、どっちが先に潔く謝るか、みたいなことで
「Bigger person」(より器の大きな人物)度合いを図ったりしています。
謝るのは、美徳だし、正直に過ちを認め、許しを請うのも、
当然のモラル、という風に、ちゃんと社会は教えている。
謝りのポイントや、表現方法や、タイミングや、引きずり方、というのは
国や文化によって、きっと違うでしょう。
でも、だからといって、自分のやり方こそが正義だ〜!
と勘違いしないことですよね。
検索すると、アメリカ人謝らない説はいっぱい出てきますが、
先入観で見てしまうと、本質が見えなくなります。
だから、「無の境地」で対応すること。
自分の正義を振りかざさないこと。
グローバルな環境で生きていく時に、
望まれるフラットさや柔軟さって、そういうことですよね、きっと。
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