自分のアタマで考えられる人ができてる唯一のこと

検索しろと検索するなは同じ意味!?

先日、ググれカスについて書いた後で、

「検索するなっていう人もいますよね」というリアクションをいただきました。

うーん、確かにそれも見ます。

こんな本もあるくらいですし(笑)

でも、私が言わんとしたことと、

これらの「アンチ検索」に見える意見が言っていることとは、

実は一緒。

自分のアタマで考えられる人になりましょう、ということです。

この辺で混乱している人が、実は「危ない」タイプなんですよね。

本質を見ることができずに、表面的な言葉に惑わされてしまいがち。

似たようなケースはいくらでもある

似たようなケースで、こんなのもあります。

「がんばらなくていいんだよ vs がんばらなくてどうする」論とか

「ありのままでいいんだよ vs そのまんまじゃダメなんだよ」論とか。

対立させてはみましたが、

実は、全然別なことを言っていて、

たまたま「言葉が似てる」だけの話なんですよね。

がんばり過ぎて、消耗して、疲れて、病んでしまったのに、

全然、毎日、楽しくなってなくて、希望もない。

なんて人は、間違った「がんばり」をしているので、

がんばらなくていいんだよ、で目が覚める。

本来、ここを突き抜けてやってみると、成果につながるのに、

そこで止めちゃダメなんだよ〜、おいおい、ってケースには、

もっとがんばれ、というエールでしゃきっとする。

でも、どっちも言いたいのはコレだけ。

ハッピーじゃないならば、今のやり方を変えなさい

ってことよね。

ありのままだって、矛盾はない

ありのまま論争も、そう。

これは深い自己肯定を前提としつつ、

楽しい未来を夢見て、コツコツ自分をバージョンアップしていこうよ、

ということで、何一つ矛盾しないのだけれど、

なぜか「ありのまま」批判があちこちで見られました。

その辺のことは、こちらにまとめたので参考にしてください。

「ありのまま」と「今のまま」は別な話

大事なのは「抽象度」を上げること

自分のアタマで考える、というのは、

文脈とか背景を一緒に読み取ることであり、

「この人はどんな意味でこのことを言ったのだろう?」と

究極的な意図を理解すること。

こういうのを、「抽象度を上げる」と言ったりします。

「本質」という言い方をする人もいます。

で、あんたはいったい何が言いたいの?ってことですね。

自分のアタマで考えられる人は、これを訓練で身につけてきた人です。

AIによって、たくさんの仕事がなくなると言いますが、

過去にも、コンピュータの一般化や、様々な機械化で、

おんなじことはいっぱい起きました。

何も真新しいことじゃないのです。

常にはじかれてしまうのは、バージョンアップができない人です。

自分のアタマで考えていない人だったりします。

犠牲者魂でいっぱいにならずに、

勇気を出して、ガンガン攻めていきましょう〜。

あなたの可能性は、まだ、ほんのごく一部しか使われていないのだから。