孤独死なんて呼ぶのは失礼な話
孤独死、って言葉は、本当に失礼だと思う。
死んだ瞬間、どんなだったかが大事なわけじゃなくて、
それまでの数十年間、あるいは100年近く、
あるいはそれ以上の長い時間をどう生きてきたかが大事なわけで。
息を引き取った瞬間、ひとりだったからって、
それを気づく人が周りにいなかったからって、
その人を「孤独」呼ばわりするのは、無粋なことだと思うのです。
本当は眠りの中で旅立ちたい
かつては家で、家族に囲まれて死ぬのが当たり前だったのでしょう。
今は病院で機械に繋がれ、管をあちこちに突き刺されて、
薬の匂いの中で息を引き取るのが、当たり前です。
でも、本当は、眠りの中で自然に逝けるのが、
理想の旅立ちなのではないのかな。
少なくとも、自分にとってはそうかな、と思うのですよね。
眠る直前まで普通に元気で、
気づいたら(気づけないんだけれど)目が覚めずに魂だけが旅立っていた。
そんな感覚で、「抜け出る」ことができるなら。
死に方よりも、生き方にこそ意味がある
死に方が問題なんじゃないよね。
生き方が問題なんだよね。
死に方が、生き方を象徴するものなどではないはず。
孤高の旅立ちを汚すような言葉は、だから大嫌いなんだろうと思うし、
それを不必要に煽って、怖れさせる向きにも、嫌悪を感じるのでしょう。
昨日は9/11。
コミュニティに掲げられた大きな国旗も、半旗になっていました。
また、この本読んで、今の生き方を見直してみようと、ふと思いました。
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