通勤電車は見たくないものの宝庫
日本帰省中、ああ、見たくなかったなあという光景を見てしまって、
どんよりすることがあります。
なるべく通勤時間帯の電車には乗らないように心がけてはいるのですが、
9時半頃でもまだ遅出の方々がいたりして、
無表情で、肩を怒らせて、戦闘態勢な方々に出くわしてしまうこともある。
前回の旅のある平日、千葉方面から快速電車で新橋まで行き、そこで地下鉄に乗り換えました。
快速電車の地下道はとても深く、エスカレータも恐ろしく長い。
でも、人々は「ルール」を熟知していて、きちんと左に寄り、
急ぐ人は右を歩いて登っていく。
が、そこに中国人カップルがいたのですね。
彼らは話に夢中、スマホで互いを撮ったり、自撮りしたり。
明らかに観光の途中で、楽しそうにしています。
でも、エスカレータの右側を、塞いでしまっているのです。
当然、後ろはつっかえて、皆が何事かと鼻息荒く上を見上げています。
すぐ後ろにいる人など、もう顔が真っ赤になって、怒り心頭。
「言葉以外のすべて」で意思表示する不思議
肩をチョンチョンって叩いて、左に寄って、とかボディランゲージで示せばいいのにな。
はるか下の方から様子を見ていた私は、思いました。
あるいは、日本語でだって何だって良いから、とにかく暗黙の了解に気づかせてあげたらいいのに。
でも、後ろのオジサン(私よりきっと若い・苦笑)は、言葉は一切使いません。
足をドンドンって、エスカレーター全体が揺れそうなくらいに踏み鳴らしてみせたり、
持っていた長い傘の柄で、金属の階段をカツーンカツーンと耳が痛いくらいに突いてみせたり。
言葉を使う以外の、ありとあらゆることをして、わからせようと必死。
でも、彼らは楽しんでいて、気づかない。
そもそも、そんな場所で、そんなルールがあろうなどとも思っていない。
周囲はちょっと状況が見えてしまっているので、かなりイヤーな空気が漂っています。
でも、皆が見て見ぬ振りをしながら注目してるので、声も上げにくい。
何をどうしたら、彼らに伝わるかわからないし。
自分だったら何ができるだろうか?
私が、すぐ後ろにいたら、まずは肩をチョコンと叩いて仕草で教えてあげる。
英語でこっそり何か言ってみるかもしれない。
ちょっと横にどいて道を開けて、ってやるだけだから、それで済むはず。
なのに、異国の人と心を通わせようとせずに、
ひたすらイライラを募らせて、不快になっているオジサンが、
ちょっと哀れだったし、態度に見え隠れする「見下し感」にザラッとしました。
まあ、周りで皆が見ているからね。
努力したのに、成果がなかったら恥ずかしい、という意識も働くのかもしれません。
でも、すでに皆に注目されてるし、無駄な抵抗いっぱいしてるのを見られていて、
その方がよっぽど恥ずかしかった気がする、けれど…。
コミュニケーションって、決して言葉だけで成立しているわけではありません。
それどころか、言葉は全体の7%に過ぎないと言われるので、
カラダで伝えられることもいろいろあるはず。
笑顔で愛情持って人に接するのは難しいことなのか?
「空気を読めよ〜」という態度をいくらしたところで、
違うカルチャーの人には無茶な要求です。
笑顔になるのは、そんなに難しいことなのか。
通勤電車では、そこまで無表情に自分を殺さねばならないものか。
日本って、前からこうだったっけ?と
自分が変わってしまったからなのかなんなのかわからないけれど、
外国に来ちゃった感が満載で、驚いてしまうことが頻発します。
ま、私がガイジンさんになっちゃったのでしょうね(哀)。
でもね、アメリカにいたらいたで、やっぱり自分はガイジンだなあって感じるんですよね。
ちょっと前のことですが、こんなことがありました。
今でも全然、変わってませんから。
↓
やっぱりアメリカ人にはなれません。
ガイジンの自分を意識して感じる一抹の寂しさ