芸能人が麻薬で逮捕された時のマスコミの騒ぎようと言ったら、もの凄い。その人の人格すべてが汚されて、過去の偉業も、すべてが無価値にされてしまう。鬼の首を取ったようなという表現があるけれど、100%の悪人として祭り上げられて、全精力を注ぎ込んで裁こうとするかのように見える。
麻薬に限らず、不祥事はすべてそう。不祥事じゃなくても、不祥事に見えたら、そうなる構造がある。そしてそれに乗っかる一般の方々も多い。君は彼らの何を知っているの?と疑問に思う。彼らがあなたに一体何をしたのかと問いたくなる。
人は皆、自分が言われたら一番痛い言葉を注意深く選んで発言するようだ。それが一番「効く」と知っているから。ネットには恐ろしい言葉がたくさん届く。そして広がる。
過去、いろいろな芸能人が麻薬で逮捕されたりしたけれど、そして見せしめのように派手派手しく報道されてきたけれど、逮捕された人たちは、きっとどこかホッとしているんだろうなと思う。これで解放される。麻薬の魔力から解放されると。
そのことの安堵感に比べたら、世の中の騒ぎとかって何でもないことなのかもしれない。これでまた元に戻れるかもしれないという希望感すら感じている気がする。何か知られてはいけないことを心に隠していることほど辛いことはない。それを言えるか言えないか、心の様相に与える影響は多大だ。ダークな秘密が表に出て、もう隠す必要がなくなったことだけで救われるものがあるはずだ。
人はふとしたことで過ちを犯してしまうことだってある。意図しない内に、取り返しの付かない場所へ来てしまって戻れなくなることだってある。そんなの、誰にだってある。どんな立場に立たされようと、少しばかりの弱さや緩みがエスカレートして取り返しがつかなくなるところまで行ってしまうことはきっとある。絶対にないなんて、誰にも言えない。
だから、一度や二度の過ちが許されない社会は恐ろしいと思う。それを許せないと凶弾する人々の、誇大広告のような正義感が恐ろしい。
アメリカに来て良かったな、と思うことのひとつは、社会全体にセカンドチャンスを応援し、そのチャレンジする姿に惜しみない拍手を送る空気があふれていることだ。努力が実を結んで成果を出すことができれば、マスコミも社会もこぞって拍手喝采。一度落ちてから再びつかむ栄光は、最初の栄光よりもはるかに難しいことを知っているからだろう。
記憶に新しいところでは、ドラッグ中毒に苦しんだロバート・ダウニー・ジュニアが、アイアンマンやトロピック・サンダーで2009年に大復活。そして見事に最優秀助演男優賞を受賞。その時の会場の鳴り止まない拍手が忘れられない。ベン・アフレック他、そんな例は他にいくらでもある。アメリカ人の好きなアメリカン・ドリームの別な形なのかもしれない。
だからと言って、罪を犯したことを正当化してはいけないし、許されるべきかどうかは罪の種類にもよるわけだけれど、僕が世界を創る担い手になるのなら、ただ裁いて終わるより更生することを応援する社会を創りたい。打たれても打たれても立ち上がる、ロッキーのようなタフな精神の持ち主に惜しみない拍手を送る、愛にあふれた心を育てたい。
BLOGOSで、「質問:芸能人って甘くない?」という記事が載っていて、それは読者から長谷川豊アナへの質問で、それに応える彼の記事でした。タイトルの言葉のせいか、それを普通にシェアしようとしたら、逆に取ってしまわれかねなかったので、ブログにしました。彼もまた、セカンドチャンスを応援できる社会のあり方について書いています。