やや昭和の時代の響きがする「感受性が強い」って言葉。
よく聞く割に、それってどういう意味?って聞かれても答えられなかったりする。
そういうの、私の中では「思考停止言葉」として位置づけています。
きっと自分はこうに違いない、だから仕方ないんだって型にはめるために便利に使っている言葉。
仕方ないって諦めたら、苦手なこともやらなくて済むしね、って、またいつものそこに結びつきます(笑)。
感受性が強い人は、精度が良すぎるアンテナを持っているがために、感情の機微や空気感を読みすぎて生きづらい、というマイナスな文脈で使われますよね。
要はアレルギーと一緒で、単に「過敏」なんです。
杉の花粉だって自然界に普通にあって、それ自体は何の問題もないはずなのに、身体が過剰反応を示してしまう。
ピーナッツとか、大豆とか、小麦とかも、甲殻類とかも同じこと。
確かに農薬や品種改良の影響で、昔とは違うものになっているからかもしれないけれど、それにしても、影響がある人と、ない人がいるのは、不思議ですよね。
体質、って決め込んでいるものも、実は「意識」の問題であることもあるのです。
NLPのスキルを使うと、実はアレルギーも克服できてしまったりするんですが、先生いわく
「アレルギーという体の反応も、すべて脳でコントロールしているわけだよ。
だから、神経のプログラムに働きかけるNLPは、アレルギーもコントロールできるんだ」
で、実際、目の前で、ピーナッツアレルギーの人を治してしまったのです(驚)。
病は気から、というけれど、自分を何らかの型にはめてしまうことで、そこからかえって抜け出られなくなることってありますよね。
心の問題もきっとそうなんです。
私は感受性が強い人って勝手に思っているけれど、それって、単に心の壁が弱くて、免疫反応が過剰に反応しているだけ。
防御システムが過剰反応すると、怖くて人を避けたり、逆に人を「攻撃」したりもしてしまいます。
弱い人ほど、吠える。傷つきやすい人ほど、人を疑い、言葉尻を捉えて攻撃したりする。
誤解が多いのも、過敏さゆえにフィルターが歪んでいるせいです。
渡辺淳一さんの「鈍感力」という本を勧められて読んだときは、本当に衝撃でした。
鈍感ってスキルなんだ~と知ったことが、何よりも収穫だったのです。
人は過敏状態から、ノーマルを通り越して、図太いくらいに鈍感になれるものなんだ。
そして、そのことによって、こんなにメリットがあるものなんだ。
こんなに楽で、生きやすくなれるものなんだ!
それを知ったときの、青天の霹靂的な喜びといったらありませんでした。
12年くらい前のことです。
この記事で詳しく説明しています。
↓
今、あらためて「鈍感力」。
自意識過剰な自分を癒やす魔法の力
「私、感受性が強くて…」なんて、繊細ぶって、弱い人の振りしてないで、鈍感な人の真似して、お手本として生きるくらいが、実はちょうどいい。
生きるのが、本当に楽になるし、新しいことへの挑戦が軽く感じられるようになります。
人との出会い、人とのふれあいも、心から楽しめるようになります。
人との距離感をはかったり、人の言葉の裏を読んだり、空気感を意識したり、そんなの、ムダな努力。
自分が自分に貼ってるレッテルって、他にもいっぱいあると思いますが、ネガティブなレッテルは、未来志向の生き方にはすべて不要。
今すぐ、ゴシゴシと全部タワシではがしてしまいましょう。
結局は、ここにつながります。
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一生、不幸を背負って生きる人。
絶対に不幸にならない人